学校法人愛隣学園 取手幼稚園

園長のおはなし バックナンバー

2月の「園だより」から

 ♪きたかぜぇ~こぞうのかんたろう~♪「かんたろー!」幼児組の元気な歌声が響きます。この声が本当にかんたろうまで聞こえたのかと思うくらい急に風が冷たくなりました。それでも日中の太陽が出ている時間には園庭で元気に遊びます。園庭の「みんなのはたけ」のキャベツとブロッコリーはそろそろ収穫の時期のようです。そのキャベツの葉には沢山の虫食いの穴!「わぁ。いっぱいたべてるねぇ。きっとおいしいんだね。」乳児組の子どもたちも覗き込みます。園庭に氷が張れば大歓声!「おもしろい。この形」「冷たい!」「持って帰る」などなど。本当に子どもには自然と一緒になって楽しめる力があります。これこそがセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)なのでしょう。この感性、残念なことに大人になる過程で様々な知識を得ることで薄れていくといわれています。身近にこの素晴らしい感性を持つ子どもたちがいる私たちはなんて幸せなのでしょう。今日も子どもたちと一緒に外へ出て空を見上げてみようと思います。冷たい風、その中にふとかおる春の匂い、耳をすませば小さな虫がキャベツの葉を食べる音が聞こえてくるかもしれませんね。

《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 5章16節
『あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。』

1月の「園だより」から

 新年早々、大きな災害のニュースが飛び込んできました。災害はいつ起こるか分からないという当たり前のことを改めて痛感したお正月でした。次々に明らかになる被災地の様子にこれ以上の被害が大きくならないことを願い、今なお大変な状況にある方々、悲しみの中にある方々、救援にあたっている方々を覚え、祈りたいと思います。
 3学期がスタートしました。例年より暖かい日が続いていますが、この時期は園庭に霜柱や氷が張ったり、雪が降ったり、子どもたちにとって魅力的な季節です。この時期ならではの絵本を読んだり歌を歌ったりしながら、そして寒さの中の、園庭の畑のキャベツやプランターに植えたチューリップの芽の育ちに喜びや感動を貰って冬の季節を楽しく過ごしたいと思います。

《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 7章12節
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』

12月の「園だより」から

 それぞれが1年を振り返り、思いめぐらせる季節になりましたね。今年は(も)幼い命が失われたり、傷つけられたりするニュースに心を痛めたことが何度あったことでしょう。一方で私は、子どもたちからたくさんの喜びを貰いました。子どもたちと共に過ごす時、笑わない日はないのです。子どもは本当に天使ですね。大人の疲れた心をも癒し励ますこの子どもたちの笑い声がいつまでもいつまでも続くことを願ってやみません。そして世界中の子どもたちが愛されて育ちますようにと心から祈ります。取手幼稚園では、クリスマスまでのこの時期をアドベント(楽しみに待つという意味)と呼び、週ごとにろうそくに火をともしたり、アドベントカレンダーをめくったりしながら過ごします。そしてサンタさんに何をお願いするのかを楽しみにするとともに、もらうだけでなく与える喜びを大切にしていきます。幼いころのクリスマスの暖かい思い出は、いつか誰かに暖かさを与えることにつながっていくと信じています。

《園長 小林路津子》

ルカによる福音書 2章11節
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』

11月の「園だより」から

 取手幼稚園では数年前に行事のあり方について時間をかけて話し合いました。行事の成功の為に遊ぶ時間を減らして練習をしたり作品作りをしたり。多くの保育施設でこのような考え方でやってきた(そして今もやっている)と思います。でも本当はそうではなく、日々の保育が何よりも大切で、そのなかで楽しみながら行事に向けて期待を持っていくことが、子どもの「主体性」につながり、行事を終えた後の「達成感」につながることなのではないかと考えました。主体性と達成感は「生きる力」につながります。こどもたちには「希望を持って生きていく力」を育んでほしいと願っています。 命に関わる程の暑い日々がやっと終わり、心地よい風の中、園庭で思い切り遊ぶ0歳から6歳の姿が見られます。また自然の多い近隣へお散歩に出かけて全身で秋の訪れを感じています。幼い子どもたちの命が奪われる連日の悲しい報道に心が痛んでいます。園庭で無邪気に遊ぶ子どもたちの笑顔を見ながら世界中の全てのこどもたちの健やかな心と体の育ちを願ってやみません。

《園長 小林路津子》

申命記 26章10節
『わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。』

10月の「園だより」から

 園庭に秋の虫たちが集まる季節になりました。バッタ、カマキリ、キリギリス、トンボなどなど。子どもたちは、この不思議な力を持っている虫たちと出会い、目を丸くしたりキラキラさせたりして触れ合うのです。「キリギリスを捕まえようとしたらビューンって屋根の上まで飛んでったよ!」大人の私もびっくりです。「えー? キリギリスってそんなに飛べるの?」ばらぐみさんでは、たくさんのあおむしを育てています。毎日葉っぱをむしゃむしゃ食べてうんちをいっぱいします。「今日はさなぎになっていたよ」とたんぽぽぐみさんのお友だちが教えてくれました。「はらぺこあおむしだね、さなぎになって何日も眠ってちょうちょになるんだね」自然を触れ合うってとても素敵なことですね。暑い夏が過ぎて心地よい風が吹くとき、秋の訪れを感じます。子どもたちは今日も園庭で風に、虫に、葉っぱに触れて、全身で地球を感じて生きています。

《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 10章42節
『この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。』

9月の「園だより」から

 靴を一人で履こうとしている1歳の子。なかなかうまく履けません。あれこれと試行錯誤しながらなんとかしようと頑張ります。そのような時、保育者はできるだけ口も手も出さないよう見守ります。この時「思考力」が芽生えているからです。上手に靴が履けたとき、達成感が喜びとなり自信へとつながっていくのでしょう。履けなかったときは、靴や足を差し出したり泣いたり怒ったりして「やって」を主張します。それもまた生きていく上では大切なことですよね。一つのことを達成したときに得られる力は、靴が履けるようになったという事だけでなく、他の様々なところでぐんと成長が見られていくことでしょう。大人がその芽を摘んでしまっては本当にもったいないことですね。お友だち同士のトラブルも子どもたちだけで折り合いをつけて解決していることがあります。小さな園で毎日過ごす子どもたちは喧嘩をして「ゆるさない!」と言いながら許したり許されたりして一緒に遊びます。暑い夏が終わろうとしています。秋は楽しいことがいっぱい。心も体も大きく成長することでしょう。

《園長 小林路津子》

ペトロの手紙(1) 5章7節
『思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい』

8月の「園だより」から

 毎日とても暑いですね。子どもが外で遊ぶのが「危険」というレベルの暑さとは、何という事でしょう。それでも、夕方のほんのひと時に吹く風に、心地よさを感じます。園庭では毎日のように野菜が実り、子どもたちの手で収穫します。乳児さんはテラスの日陰でお水遊びやスポンジと石?でアワアワ遊びを楽しんでいます。本物に触れ、においを嗅いだり味わったりして「五感で感じる」ことは、心で感じる「豊かな感性」へとつながります。大人はつい「暑い暑い」とばかり言ってしまいますが、子どもたちはその中にあっていつもアンテナを張り巡らせて楽しいこと探しをしています。その姿に希望が見出され大きな励ましを貰うとともに、子どもたちが生きていく未来を思わずにはいられません。環境の問題は深刻ですね。そして戦争のこと。平和のことはいつも願っているけれど、8月は特に考えてしまいます。幼児組の今月の保育のねがいのように「平和に生かされていることを感謝し、祈り合って」過ごしていきたいと思います。

《園長 小林路津子》

コリントの信徒への手紙(1) 13章13節
『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』

6月の「園だより」から

 お芋の苗植えをしました。初めは土に触ることを躊躇していた子も最後には手を真っ黒にして畑の上の土と、掘った中の土の温度が違うことに気付きました。園庭に畑を作り野菜の苗を植えました。どの野菜も、野菜になる前に花が咲くことを知りました。トマトの葉っぱはトマトのにおいがしました。テラスに仰向けに寝転がると青空がきれいで、背中があったかくて気持ちがいいです。見たことのない虫に出会い、図鑑で名前を調べます。子どもたちと過ごす毎日の中、「感じる」ことがどれほど大切かと思います。屋根付きの駐車場から屋内に入ることのできる施設はどんなにか便利なことでしょう。けれど雨の日に雨を感じることはどれほど大切なことかと思うのです。傘にあたる雨の音、長靴で水たまりに入るドキドキ、また、雨の日があるから晴れの日が楽しくなるのです。取手幼稚園の子どもたちは今日も全身で、また心で「感じて」います。

《園長 小林路津子》

詩編 147章8節
『主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え 山々に草を芽生えさせられる。』

5月の「園だより」から

 寄せ植えボランティアに参加してくださった保護者様のおかげで園の前に素敵な寄せ植えのお花たちが並びました。先日、バス運転手の藤澤さんが1匹のザリガニとたくさんのオタマジャクシを連れてきてくれました。裏庭でカマキリの卵を発見しました。お庭にはテントウムシがたくさんいます。お花が咲いて「うれしい!」と思い、しぼんでしまったら「かなしい」と思うのでしょう。けれどやがてお花は枯れてしまいます。そうしたら「お水が足りなかったのかな」とかいろんなことを考えるのでしょう。一つのお花にワクワクして嬉しくてかなしくていろいろ考えて、そうしてたくさんの思い出ができていきます。周りにある小さなことに気付くこと、それは優しさとか強さを育んでいるのかもしれません。今日も園の子どもたちは全身にアンテナを張って発見の喜びを感じています。

《園長 小林路津子》

コロサイの信徒への手紙 3章14節
『愛はすべてを完成させるきずなです。』

4月の「園だより」から

 3月にはお別れがあり、新しい出会いがあって幼稚園の一年が始まりました。今年も「一緒に生きていく」を主題として新たな気持ちでスタートいたします。保育の年間の主題や月のねらいは『キリスト教保育』という保育者向け保育誌に沿っていますが、今年度の年間主題は「ともにつむぎだす~希望の中で~」です。「ともに」とか「いっしょに」という言葉は取手幼稚園が大切にしている言葉です。私たちはここで出会い、つながって、そしてともにつむいでいきましょう。さあ!どんな一年になるのかな。私はわくわくがとまりません。新しい一年をどうぞよろしくお願いいたします。子どもたちと、保護者の皆様と「いっしょに」育ちあう一年になるといいですね。

《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章8節
『光の子として歩みなさい。』

3月の「園だより」から

 卒園生からお手紙をもらいました。「いつも楽しいおはなしや悲しいお話をしてくれてありがとうね」と書かれていました。そう、私は時に悲しいお話もたくさんしてきました。戦争のこと、災害のこと、差別のこと。ちゃんと聞いてくれていたんだなあ、と嬉しくなりました。お手紙の最後には「卒園してもずっと忘れないよ」と書かれていました。お手紙っていいなあ、と思います。3月は幼稚園にとって特別で大切な月です。小さな園で家族のように過ごしてきたお友だちとのお別れがあります。今月の聖句「あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように」は旅に出る人にその無事を願って語られた言葉です。人生の旅の始まりにいる子どもたちにはこれからどんな未来が待っているのでしょう。残念ながら「楽しいことばかりだよ!」とは言ってあげられません。私たち大人がそうだったように、これから悲しいことや苦しいことをも経験していくことでしょう。そのような時に希望を見失わず強く生きてほしいと思います。そして安心して帰る場所があることを願います。幼稚園もそのひとつになれれば幸いです。

《園長 小林路津子》

詩編121編 8節
『あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。』

2月の「園だより」から

 寒い日が続いていますね。先日、10年ぶりの寒波なんていわれていた日、朝は取手幼稚園にも冷たい風がぴゅーぴゅー吹いて、登園してくる子どもたちのお鼻もほっぺも赤くなってしまう程。いつもは靴箱の前で遊んだりゆっくりのんびりしている子たちもこの日はサッサと上履きを履いてお部屋へ入ったりして「あら、そんなに早くお仕度できるんじゃない」とつい笑ってしまいましたが「生きる力」はちゃんと備わっていることが分かりました。大人からすると「ちゃっかりしてる」というようなことも実は大切な力なのかもしれませんね。先日私が髪型を変えたらたくさんの子たちに「切ったのー?」「昨日の方がよかったー」「かわいいじゃん」等いろんな声を掛けてもらい、そんな言葉はうれしい限りです。職員室のヒヤシンスに目をとめて「もうすぐ咲くね」といってくれた子、お休みしているお友達がいてがっかりする子、日陰と日なたの間で影の冷たさとお日様の暖かさを交互に楽しむ子、水たまりに張った氷にそっと足を延ばしてみる子、小さな変化に気付き、言葉にしたり感動したりできることって子どもの持つ素敵な力だな、と思います。

《園長 小林路津子》

コロサイの信徒への手紙 3章14節
『愛は全てを完成させるきずなです。』

1月の「園だより」から

 新しい年の始まりは希望と共に子どもたちの成長を感じるときですね。子どもたちはこの時期「春には小学生(あるいは〇〇ぐみさん)だね」という言葉をいろんな人にかけてもらうことでしょう。その成長がうれしくて希望や喜びから出てくる言葉です。子どもたちもみんな期待に胸膨らませ、新しい生活を楽しみにします。と同時に環境が変わるということは心配や不安、プレッシャーなどを抱えることがあります。ある意味、それは自然な姿ですね。この時期、その気持ちにも共感し受け止めながら過ごしていきたいと思います。「やってみる」ということ。楽しいかもしれないから。ダメだったら周りのお友達や大人に助けてもらってね。(年長さんには「幼稚園においで」と言っています。)幼児期に、自発的に遊び、その中から成功体験や失敗を経験することがここにつながっているのですね。

《園長 小林路津子》

ペトロの手紙 4章10節
『あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのです。』

12月の「園だより」から

 アドベントに入り、子どもたちはクリスマスの準備にわくわくしています。教会ではクリスマス前の4週間を「アドベント(「近づいてくる」とか「待つ」という意味)」と呼び、毎週1本ずつろうそくに点灯し、嬉しい知らせ(救い主イエスキリストの誕生)をみんなで待ち望む期間としています。幼稚園でもツリーの飾りつけをし、アドベントカレンダーを日毎に開けて過ごします。子どもたちはみんなサンタさんからのプレゼントを楽しみにしていますね。でも実際には、サンタさんが来ないお友達もいます。それはどこかテレビやネットでしかわからない遠い国のことでしょうか。もしかしたら私たちのすぐ隣にもいるのかもしれません。自分に与えられた喜びを自分ではない他の誰かにも分けてあげる、そのことに気付く想像力と優しさと強さにあふれる子どもたちが育っていきますようにと願います。助けることと助けられることの間に生まれる嬉しさと喜び、このことこそが神様からの本当のクリスマスプレゼントなのかもしれませんね。

《園長 小林路津子》

ルカによる福音書 2章11節
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。』

11月の「園だより」から

 コロナ禍、お泊り保育が出来なかったばら組さんにスペシャルな一日を過ごしてもらいたくて7時まで保育のスペシャルデーを始めてから今年で3回目。テーマも内容も、子どもたちと一緒に作り上げ、毎年そのクラスのカラーがあって面白いものになっています。今年のテーマははじめ、「夜まで楽しもうパーティ」でした。礼拝で歌っている賛美歌「かみさまにかんしゃしましょう」の歌詞の中に、かみさまは『よいもの』をくださった、という歌詞があります。「よいものってなんだろう?」と子どもたちに問うてみると「家族」「ともだち」「いのち」などいろいろな答えが返ってきました。「おいも!」という子もいてかわいらしい限りですが子どもたちの様々な言葉に子どもが持っている限りない可能性を思わずにはいられません。そんな話をして礼拝が終わろうとするとき、一人の子が言いました。「テーマを『夜までいっしょに楽しもうパーティ』にしない?」それを聞いた他の子たちも「それいいね」って言いました。子どもたちの中の何気ない会話です。私はうれしくなりました。「いっしょにっていい言葉だね。」と言いました。子どもたちの中に心の芽がぐんぐん育っています。

《園長 小林路津子》

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
『あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。』

10月の「園だより」から

 先日、幼児組の礼拝の時に「がんばるってどういうこと?」と聞いてみました。子どもたちの言ったことは様々。「ワクチン!」「あ、あとPCR検査も」なるほど。子どもたちにとって予防接種や検査は確かに「がんばる」ですね。こんなことも言っていましたよ。「やりたくないこともやってみるってこと?」「未来をみつめるってこと!」。子どもたちと礼拝をしているとやり取りの中で大人の私が教えられることがたくさんあります。そう、「やってみる」ってことが大切ですね。幼児組は運動会に向けて毎日気持ちを高めています。ダンスが大好きな子、そうではない子、かけっこが大好きな子、かけっこは嫌いな子。保護者の方の幼稚園、小学校の運動会はどうでしたか?ちなみに私はダンスが大好きでかけっこは大嫌いでした。
 お散歩が気持ちの良い季節。どんぐりや木の葉などたくさんのお土産を持って帰ってきます。空気をいっぱい吸って、全力で生きる子どもたちの今のありのままの姿を見守り、過ごしています。

《園長 小林路津子》

テサロニケⅠ 5章16節
『いつも喜んでいなさい。』

9月の「園だより」から

 この夏、何人かの卒園生が幼稚園を訪れてくれました。こんなにうれしいことはありません。幼稚園が卒園生にとって「いつでも帰ってこられる場所」になればいいな、といつも思います。人格形成の基礎を育む乳幼児期。この時期に「楽しい・うれしい・心地よい」体験を沢山し、安心して戻れる場所があるということがその後の成長過程での「やってみる・くじけない」につながるのだと思います。保護者の皆様は幼いころの「夢」を覚えていらっしゃいますか?子どもたちの夢は様々で、戦隊ヒーロー、ディズニープリンセス、ダンゴムシになりたいなんていう子もいます。大人になった私たちは本当にはその夢はかなわないことを知っています。けれどそう思ったその時の感性は大切にしたいと思います。いつか自分で「この夢はかなわない」と知ること、そのことも生きる力につながっているのです。「〇〇になりたい。」と言う子どもたちの目はキラキラ輝いていて、なれるといいなあ。と本気で願ってしまいます。ダンゴムシでさえも!そして大きくなった卒園生たちが夢をもって歩めることを願っています。

《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 7章7節
『求めなさい。そうすれば与えられる。』

8月の「園だより」から

 今月のねらい(ねがい)「ゆったりと」「祈り合う」。この言葉に今、じっくりと向き合いたいと思います。子どもたちと礼拝の中でお祈りするとき、「こうなったらいいな」って願うことだよ。と言っています。そして幼稚園ではその日お休みしているお友達のこと、自然災害や戦争で悲しい思いをしている人たちのことをお祈りします。その場にいっしょにいない人たちに心を寄せること、そのことを大切にしたいと願っています。
  コロナウィルスの感染拡大によって多くの人が、会いたい人に会うことが出来ない経験をしています。あの人は元気かな。幸せだったらいいな。と想いを寄せる人がどなたにもおられることでしょう。世の中のニュースは心がざわざわすることが多い中、豊かな心の育みを大切にしたいものです。夏のじりじりと照りつける太陽が暑いこと。木陰の風が心地よいこと。採れたての野菜がおいしいこと。見過ごしてしまいそうな小さな発見や喜びに感動して夏を過ごしたいと思います。

《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 5章9節
『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。』

7月の「園だより」から

 私は、父の仕事の関係で引っ越しが多く、幼稚園の時には1度の転園、小学校では2度の転校を経験しています。幼稚園の頃の私は内弁慶でした(信じられないでしょう?)。今でもよく覚えていることがあります。新しい幼稚園での入園面談の日、私は大泣きして大騒ぎして保育室の中に入ることが出来ませんでした。先生に優しく促されても、母親に手を引っ張られても幼稚園の階段の踊り場でぎゃんぎゃん泣いてそこから動くことが出来ませんでした。夜、仕事から帰宅した父に、母が困り顔で「最後まで泣いて面談が出来なかったのはうちだけだったわ」と報告していたこともよく覚えています。他の子たちと同じようにできない我が子を見て、情けないやら心配やら、いろいろな気持ちだったのだろう、と大人になった今は母の気持ちが分かります。この時のことを思い出す時、同時に「あの時なぜあんなに泣いたのだろう」と思い出してみますが、よく分かりません。漠然と不安だった気がします。たまに、手が付けられないほど泣きわめいている子を見ると私はいつもあの時の自分の姿と重ね合わせ、心の中で「大丈夫。がんばれ」と思わずはいられません。「泣きわめく」その時にをも、生きる力はきっと育まれていると思うのです。 《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章1節
『あなた方は神に愛されておる子どもです。』

6月の「園だより」から

 子どもたちはみんないい子です。時々先生のいうことを聞かないところも、お友達に意地悪をしてしまうところも全部含めていい子です。それが本来の子どもの姿だからです。誰もが心の中に持っている「ひがみ」とか「ねたみ」とか意地悪してしまおうという気持ち。それらを持っていない子どもはなんだか不自然な気がします。大人はそれらの気持ちを我慢したり表に出さないようにすることを覚えますが子どもは全身で表現し、その結果、人を傷つけたり、迷惑をかけたりします。けれど人格形成の基礎と言われる乳幼児期にはそれも必要なこと。今、心でいろんな気持ちを体験し、感じてほしいと願います。人を傷つけ、迷惑をかけてしまう、そして、しっかりと叱られる、それも成長の上で大切なことです。乳幼児期の今、「聞き分けの良い子」である必要はないのだと思います。私たち大人がかつてそうだったように。6月も全身で「感じて」たくさん遊びます。 《園長 小林路津子》

ヨハネによる福音書 14章19節
『神がまずわたしたちをあいしてくださった。』

5月の「園だより」から

 風爽やかな5月です。ここのところ雨が多いので、子どもたちは晴れている時間にはここぞとばかりに外遊びを楽しみます。5月の、更には雨上がりの園庭には魅力がたくさん。 虫たちが、草花が、雲が、風が動き出します。「わあ、なんだろう」という発見のわくわく、「どうなるのかな」という試しのドキドキ、そして自分でやってみたという達成感。これらは子どもの育ちに大切な体験です。
 私たち大人は子どもたちと関わるとき、その大切な瞬間を摘んでしまっていないかを気を付けていたいものです。「せんせい!みてみて!」と自分の発見を教えに来てくれる時の子どもたちの目は、言葉では言い表せない程にキラキラと輝いています。その瞬間が私にとっての幸せでもあります。大人になって忘れてしまった感動を幼稚園の子どもたちがいつも思い出させてくれるのです。
 子どもたちが水たまりに手や足を伸ばそうとしている時、一緒に水たまりをのぞいてみると素敵な発見があるかもしれませんね。 《園長 小林路津子》

箴言 17章17節
『どのようなときにも、友を愛すれば苦難のときの兄弟が生まれる。』

4月の「園だより」から

 新年度のスタートです。新しい出会いがあって新しい一年が始まります。取手幼稚園の保育の年間の主題や月のねらいは『キリスト教保育』という保育誌に沿っていますが、今年度の年間主題は「つながって~今、わたしを生きる」です。この「つながって」は取手幼稚園が今までもずっと大切にしてきた言葉。私たちはここで出会い、つながっていきます。コロナ禍にあってこのつながりがより大切と思われるようになりました。触れ合うことが躊躇されるようになって改めて子どもの心の育ちに触れ合うことの大切さを思いました。この時代を生きる子どもたちに伝えたいのは「心のつながり」。これは取手幼稚園が主題にしている「一緒に生きていく」ことにつながります。新しい一年をどうぞよろしくお願いいたします。子どもたちと、保護者の皆様と「いっしょに」育ちあう一年になるといいですね。 《園長 小林路津子》

箴言 17章17節
『どのようなときにも、友を愛すれば苦難のときの兄弟が生まれる。』

3月の「園だより」から

 長い休園と保育施設利用要請にご協力いただきありがとうございました。やっと幼稚園ににぎやかな声が響いています。園が「息を吹き返したように」。子どもたちの笑い声や歌う声、時には怒って泣き叫ぶ声、これらの声はどんなに素晴らしく、私はこの声に活力をもらっていたのだと改めて気づかされます。手をつなぐこと、ハグすること、この時代の中で子どもの心の育ちに「触れ合うこと」が何よりも大切だということを強く思うとき、目に見えない心のつながりこそが希望や喜びを生み出せるものであると強く信じ、そのことを子どもたちにも伝えたいと思います。私たち大人もまた、子どもたちによって育てられていることを思います。子どもたちの存在は、かけがえのない尊いものであり、私たち大人の生きる力になっています。年長さんのクラスでの礼拝で「愛ってなんだろう?」って聞いたら「お友達を好きだっていう気持ち」と返ってきました。お別れの日まで本当にもうあとわずかです。 《園長 小林路津子》

箴言 17章17節
『どのようなときにも、友を愛すれば苦難のときの兄弟が生まれる。』

2月の「園だより」から

 子どもたちの心が落ち着きません。なんだかざわざわしています。当然と言えば当然のこと。世の中のただならぬ事態を子どもなりに感じ取っているのでしょう。感染症の流行、災害など、どの時代にも起こりうる困難に私たちは祈りつつ強く生きていかなければなりません。先日、1月の聖句「あなた方はそれぞれ賜物を授かっているのです。」をもとに幼児組でお話をしたとき、「自分の素敵なところを教えて。」というとみんな考え込んでしまいました。質問を変えて、「あなたの得意なことは?」とか「これだったら上手にできることは?」と言ってもすぐには答えられませんでした。「自分のちょっとダメダメなところは言える?」と言ってみると、「いつも朝にお母さんに怒られる」とか「野菜食べられない」とか次々に出てきました。幼児期の心の育ちに「自己肯定感」が何より大事と言い続けてきた私は新たな課題を与えられた様な思いです。誰もがみんな得意なことと苦手なことを持っていて、それが「あなたらしい」ということ、そのありのままの自分らしさを神さまは愛しているということ、このことを子どもたちに伝えていきたいと思います。この先のどのような困難も希望をもって生きていくことができるために。 《園長 小林路津子》

コリント人への手紙Ⅰ 13章8節
『愛は決して滅びない。』

1月の「園だより」から

 今日は雪が降っています。職員室から見える園庭の景色がどんどん雪景色になって「ゆきのぺんきやさん」の歌を口ずさんでしまいます。変わっていく景色に喜びの声をあげる子どもたちを見て、ふと、雪を喜べなくなったのはいつごろからだろう、と考えてしまいました。子どもの頃、雪が降るとなんだかうれしくて、わくわくして雪かきさえも楽しくてしかたなかったのに。いつしか楽しめなくなったのは当然のこと、大人になった証拠です。けれど、幼稚園にいると幼い頃のあの無邪気な気持ちを子どもたちが思い出させてくれることがあります。子どもたちは寒ささえも楽しんでしまう生きる力を持っていますね。この力だけはこの先いつまでも忘れずにいてほしいと願います。そのためには幼いころの思い切り遊んだ経験が何より大切です。新学期の初め、子どもたちと共に希望を語りたいと思います。さあ、今日はどんな楽しいことをして過ごそうか、と。
 コロナで大変だった年が過ぎ、新しい年に希望を見出したいと願った早々、感染拡大のニュースが飛び込んできました。いつも言っているようにどのような時も希望を見出して歩んでいきたいものです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 《園長 小林路津子》

ペトロの手紙 4章10節
『あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのです。』

12月の「園だより」から

 私が子どもの頃、アフリカの飢餓が深刻な状況でした。ある年のクリスマス前に父が「今年はうちにはサンタさんは来ないかもしれないなぁ。アフリカの子どもたちのところに行かなきゃならないからな。」と言いました。小学生の私に今自分が置かれている状況に感謝するという思いを伝えたかったのでしょう。その年私のところにサンタさんは来てくれましたが、「サンタさんアフリカに行けたかなぁ」と考えていたのを覚えています。この時期、幼稚園の子どもたちはサンタさんに何をお願いしようかと一生懸命考えます。「まだ迷っているんだ」とか「私はもう決めたよ」なんていう会話が聞こえてくるとそれだけで幸せをもらった気分になります。そういえば我が子が幼稚園の時お菓子の「コアラのマーチ」をお願いしたことがあって、そんなものでいいのかと笑ったことがありますが、その子にとっての願いはそれぞれですね。幼稚園では今月、クリスマスまでの日々を「もらう喜びと与える喜び」について考えながら過ごします。クリスマスだからこそ、目に見えない喜びが伝わるといいなって思います。自分だけではなく、「共に」喜べるクリスマスになるといいですね。 《園長 小林路津子》

ルカによる福音書 2章11節
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。』

11月の「園だより」から

 6月に幼児組のお友達が苗を植えたさつまいもが大きく育ち、先日お芋ほりをしました。土の中のお芋を自分の手で掘って発見し、掘り上げたときの子どもたちの嬉しそうな表情は言葉では表現できないほどの輝きを持っています。土のにおい、感触、温度、お芋の重さ、これらを子どもたちは全身で感じています。幼い時に、知識を得るとか、勉強するよりも先に「感じる」ことがどれほど大切かと思うのです。この順番が逆になってしまっては本当の意味での学びにはつながりません。世の中が便利になることで「考える力」が失われていくことを心配します。例えば、園舎の設計の時に手洗い場の水道の水をセンサーにする案が出ました。手を出せば水が出てきて手を引けば水が止まります。でも敢えて蛇口をひねるタイプにしました。自分の願いをかなえたいとき(手を洗いたいとき)どうすればよいのかを自分で考え、工夫しながら試してみる。時には失敗したり、誰かに聞いてみたりすること。そしてそのあと自分で水を止めることが節約の大切さに気付くことに繋がります。小さなことですが大切にしたいことの一つです。日々の生活の中に、小さなことだけれど子どもの心の育ちに大きな意味を持つことがあると思います。 《園長 小林路津子》

使徒言行録 20章35節
『受けるよりは与えるほうが幸いである。』

10月の「園だより」から

 さわやかな秋空が広がり、風が心地よく感じられる10月。園庭では子どもたちの弾んだ声が響きます。子どもたちは五感をフルに使って自然を感じ心を弾ませているのです。近頃、子どもたちの「叫び声」をよく聞く気がします。「キャー!キャー!」という高い声。子どもたちもストレスを発散しているのかもしれませんね。思い切り「泣く」「叫ぶ」「笑う」「歌う」「走る」などなどこれらのことが子どもたちには今大事なのだと思います。これも子どもの「生きる知恵」「たくましさ」ですよね。乳児さんがお昼寝をしていたり、周りの人がとても不快な思いをしていたり、と、状況を感じ取ることも大切なこととしたうえで、ただ「静かにしなさい」や「泣かないで」ではなく、「この場所なら思う存分叫んでいい」とか「走りたいなら外に行こう」などと言って我慢ばかりにならないようにしたいな、と思います。子どもと一緒に大人の私たちも心弾ませる秋を楽しみたいですね。 《園長 小林路津子》

コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章10節
『心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。』

9月の「園だより」から

 日本の子どもたちの幸福度が低く、10代の自死率が高いという話は以前にもしたかと思います。過去43年間で子どもが最も多く自死した日が9月1日、つまりは夏休み明けの新学期なのだそうです。さらに今年、夏のセミナーでショッキングなことを知りました。昨年の子どもの自死数は499人でこれは前年度と比べて100人多く1980年以降最多の数だそうです。昨年1年間で実に499人もの子どもが自ら死を選んでいるのです。その中に小学生が14人いることにも驚きです。幼稚園を卒園してわずか5年~6年もの間に自ら死を選ぶような状況に追い込まれているこどもがいるということ、これは深刻な問題です。どうしてこのようなことになってしまうのでしょう。
 幼稚園では今日も園庭に子どもたちの歓声が響きます。三輪車をさかさまにしてペダルを手で回して上から砂や水をかけて何かを製造しています。その子どもたちの楽しそうなこと!この無邪気な笑顔がこの先いつまでも続くことを願ってやみません。子どもたちは遊びの中から自らの力で生きる知恵を生み出しています。三輪車を逆さにして遊ぶことなど大人が教えたでしょうか。「こうしたらおもしろいかも」とかあるいは偶然的に面白いことを発見して、自分で考え、工夫し、うまくいかないこと(挫折)と成功体験、けんかと仲直りを繰り返して楽しさを追求します。私たち大人のできることは安心して失敗できる環境を備えてあげること。「失敗しても大丈夫だよ。愛しているからね。」と伝えること。幼児期に大切なのは教え込まれることではなく、遊びの中から自ら学ぶことなのだと思います。季節が移り変わる9月、遊んで遊んで遊びまくります。そしていつも、こどもの自死がゼロになることを祈っています。 《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章1節
『あなたがたは神に愛されている子どもです。』

8月の「園だより」から

 前にもお話ししたことがあると思うのですが、私は運動が苦手な子どもでした。小学校の運動会のかけっこ競技ではビリしかとったことがありません。そんな私に、父が毎年言ったのは「ビリがいるから一等がいるんだ」という言葉。子どものころはなんだかひやかされているようにしか思わなかったのですが、大人になっても忘れないこの言葉は私の大きな励みになり、また、物事を見るときの視点に大きく影響を受けていると思います。オリンピックでメダルをとって喜んでいる選手たちを見るたびに父の言葉を思い出します。目に見えることは共感しやすいかもしれませんが、私たちの見えないところの物事や人たちに心を寄せていくことを忘れないでいたいな、と思います。「今、ここにいない人たちのことをも思いを寄せて祈ること」を大切に過ごしたい8月です。広島、長崎の原爆の日があり、終戦の日がある8月。子どもたちには、生まれるずーっとずっと前の遠い昔のことのように思うかもしれませんが子どもたちの未来を思うとき、繰り返されてはならない悲しい出来事だということを知ることは大切なことです。子どもたちが大きくなった時、本当の意味での「平和の祭典」を行える未来を祈ります。
 今月の保育のねらいは「ゆったりと」「祈り合う」です。認定こども園は2号3号認定の子どもたちは8月も通常保育を行っていますが、それでも8月はちょっと特別な感覚で過ごしています。夏の暑さを喜びと感じて、暑さの中にある「つめたいっ!すずしい!きもちいい!」を感じて過ごせたらいいですね。 《園長 小林路津子》

ローマの信徒への手紙 12章18節
『すべての人と平和に暮らしなさい。』

7月の「園だより」から

 梅雨が明けると夏到来です。7月の保育のねらいは「きもちいい」「こころゆくまで」です。夏の暑さを十分に感じながら「きもちいい」を体験してほしいと願います。室内プールもいいけれど、夏の日差しのもと冷たい水に触れて「冷たくてきもちいい!」を感じること、雨の日に屋内駐車場完備もいいけれど、傘をさして長靴を履いて歩きながら雨を感じること、それらのことが子どもの心の育ちには非常に大切なことだと思います。冷えたスイカやかき氷は冷房のかかった部屋ではなく暑いところで食べる方が数倍おいしいのです。大人にとっての便利さが、時に子どもの心の育ちにマイナスになることというのは現代の通常の生活の中で大いにあると感じます。先日は2頭のポニーが園に遊びに来てくれて、子どもたちは乗馬を楽しみ、自分の手で人参をあげました。間近にポニーの大きな目や口を見て、触れて、においを嗅いで。そう、本物に触れて体中でいっぱいに感じること、このことが豊かな感性を生み出します。キュウリもなすも収穫して給食さんにお料理してもらいました。採れたての野菜、みんなよく食べました。あれ?嫌いって言っていたのに食べちゃったね。と言いながら。全身で夏を感じて過ごしていきたいです。 《園長 小林路津子》

ヨハネの手紙Ⅰ 4章19節
『神がまずわたしたちを愛してくださった。』

6月の「園だより」から

 野菜を育てよう! 年長組さんがお金を手に握りしめて近所のお花屋さんに行き、野菜の苗を買ってきました。電子マネーが主流となりつつある時代、お金の大切さが子どもたちに伝わらなくなっているといいます。お金はとても大事だということを体験しました。「どれがいいかな」と自分たちで選んだので愛着がわいて、毎日お水をやって成長を楽しみにする姿が見られます。ばら組さんは観察記録を始めました。先日、なすときゅうりとトマトの花が咲きました。「小さいお花だねー」「葉っぱなのにトマトのにおいがする」「どんぐりみたいなナスができてきた!」不思議! 発見! すぐに収穫の時が来るでしょう。「大きくなったら食べようね。給食さんにお願いしてお料理してもらおうね」今からその時を楽しみにしています。家庭菜園でできる野菜はお店で売っているのとは違い、形も大きさも個性たっぷり。そしてどれもいい味を持っています。まるで取手幼稚園の子どもたちのよう!私たちはその一つひとつを見逃さず、見守り、励まし大切に育てていきます。近隣の方々のご協力により今年はお芋畑をお借りすることができました。「生命の育み」を全身で感じて子どもたちは成長しています。 《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 22章39節
『隣人を自分のように愛しなさい。』

5月の「園だより」から

 ばら組さんがてんとうむしの卵を発見!育ててみることにしました。そうしたらなんとあかちゃんが生まれたのです。すごい!てんとうむしのご飯はアブラムシということを図鑑や絵本で調べた子どもたちは赤ちゃんの為にアブラムシを探しています。ところが、生まれたばかりの赤ちゃんはアブラムシよりも小さいのです。自分の体よりも大きなご飯をどうやって食べるのかな。不思議・ふしぎ。画像や写真ではなく本物と触れることで虫に関する知識だけでなく、優しさや、命の尊さを学んでいます。本物に触れて、見て、聞いて、感じて、心が動かされていきます。今月の保育の「ねらい(ねがい)」は「うごきだす」。この「うごきだす」という言葉、主体的な言葉です。こどもたちの成長にとってこの「主体的」がとっても大事。自分で考えてやってみるとき、わくわくとドキドキが、「喜び」になって、時にはうまくいかないことが「悔しさ」とか、「やってみる」につながり、「自信」につながります。子どもたちが主体的に動き出すときってどんなときかな、って考えたら、大人たちが「やってはいけない」ということをやろうとしているときなのかもしれませんね。木々が、草花が、小さな虫たちが、そして子どもたちの心が動き出そうとしています。子どもたちの挑戦を見守ることができるよう私たち大人もまた、動き出してみたいですね。 《園長 小林路津子》

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16節
『いつもよろこんでいなさい。』

4月の「園だより」から

 お別れがあって出会いがあります。3月、年長組さんが卒園しました。そして4月、新しい出会いがありました。学期末のお手紙でも少し触れましたが年長組さんの卒園式の練習を見ていた年中組のお友達が感極まって泣いてしまうということがありました。後日、「どうしてないちゃったの?」と聞いてみたら「だって悲しかったの。お別れが。」とか「なんか、感動しちゃって」と言っていたので驚きました。長い間このお仕事をしていますが卒園しない年中さんが泣くことは珍しいことです。「小さな幼稚園」だからこそ、かもしれませんね。縦割り保育や自由遊びの様々な関わりの中でいろんな思いを育ませてきたのでしょう。さあ、新しい出会いと共に新学期スタートです。園主題の「一緒に生きていく」は取手幼稚園の大切にしているテーマです。年間の主題は『キリスト教保育』という保育誌に沿っていますが、今年度は「共に喜んで~すべての歩みの中~」。これも素敵なテーマです。喜びの年となるように。それが一人ではなく「共に」ならばもっと素敵です。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。 《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章8節
『光の子として歩みなさい。』

3月の「園だより」から

 お別れの季節です。入園してきた頃のばら組さんを思うとき、月日の流れの速さと成長の著しさに驚くばかりです。私たち大人の多くがそうであるように子どもたちが大人になったとき幼稚園の時に経験したほとんどのことは忘れてしまうのでしょう。でも、経験した事柄一つひとつは忘れても、その時に感じた喜びや悲しみ、ドキドキやわくわくは心の中に深く残り、生きる力になっていくのだと思います。レーチェル・カーソンという生物学者が著した『センスオブワンダー』という本があります。センスオブワンダーとは「神秘さや不思議さに目を見はる感性」という意味です。この感性は本来どの子にも備わっているものです。しかし大人になるにつれて失われていくあるいは忘れられてしまうのです。今一度子どもたちと一緒に、美しいもの、未知なるもの、神秘的なものに、五感を研ぎ澄ましていたいと思います。耳を澄ませば何が聞こえるでしょうか。風の音?葉っぱの揺れる音?小さな虫が歩く音?大人になった私はこれからを生きる子どもたちに何を伝え、何を残せるでしょうか。子どもたちの未来は楽しいことばかりではありません。きっとたくさんの「うまくいかないこと」を経験して悲しんだり苦しんだりしながら大きくなっていくのでしょう。巣立っていく子どもたちがこの先どんな時も希望を見失わずに、強い心と優しい心で生きていけますようにと心から願います。
 「地球の美しさと神秘さを感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。たとえ生活の中で苦しみや心配事に出会ったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができると信じます。(『センスオブワンダー』より抜粋)」 《園長 小林路津子》

ペトロの手紙Ⅰ 4章1節
『あなた方はそれぞれ、賜物を授かっているのです。』

2月の「園だより」から

 カナダでピンクのシャツを着て学校に登校した少年が「ホモセクシャルだ」と言われ、いじめにあいました。それを聞いた友だちが50枚のピンクのシャツを購入し、インターネットで「明日、一緒に学校でピンクのシャツを着よう」と呼びかけたそうです。翌日、学校では呼びかけに賛同した数百名の学生がピンクのシャツや小物を身に着けて登校し学校中がピンク色に染まりました。「ピンクシャツデー」の始まりです。「ピンクは女の子色」と長く言われてきましたがそもそも誰が決めたことなのでしょう。多くの保育・教育の現場でも長い間、「女の子らしく」「男の子らしく」という言葉が使われてきたことも事実です。でも今、「誰からしく」ではなく「じぶんらしく」を大切にしたいのです。自分を大切にすること、「自己肯定感」。幼児期にこのことを自分一人で培っていくことは出来ません。かかわる大人が「あなたらしい」を受け入れるからこそ自信をもって自分を大切にし、その思いは自分以外の人を大切に思う気持ちにつながっていくと思うのです。「あなたがいてうれしいよ」を子どもたちに伝えていきたいですね。卒園の日が近づいているばら組さんには「出会えてよかったね」を伝えたいと思います。幼児期に「うれしい」という気持ちを経験することは「生きる力」につながると思うからです。  《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章1節
『あなたがたは、神に愛されている子どもです。』

1月の「園だより」から

 クリスマスイブの日、足がすらっと長いイケメンに声をかけられました。こんなおばさんに何の用だろうと思っていると、ちょっと困り顔です。その困った顔の目元に昔の面影を見つけ、思わず「あ!」っと声をあげてしまいました。以前勤めていた幼稚園で私が受け持っていたゆうたくんでした。偶然私を見かけ、声をかけてくれたのです。卒園した子が大きくなった姿に出会えるほど嬉しいことはありません。この仕事をしていてよかったと思う瞬間です。
 年が明けた先日、職員室で仕事をしていると職員室のドアがそっと開いてひょっこり小さな顔がのぞきました。自分の顔の分だけドアを開き、顔だけのぞかせて「あけまちておめでとうございまちゅ。これからも、よろちくおねがいちまちゅ。」と言って行ってしまいました。職員室に新年のご挨拶に来てくれたのです。なんてかわいいのでしょう!だからこの仕事はやめられない。と思う瞬間です。子どもたちが健やかに成長すること、これから生きていく世の中が平和であることを願わずにはいられません。昨年、私たちは、思いもよらぬことにより生活スタイルが変わっていくことを経験しました。今、強く思うのは「生きる力」です。今日も子どもたちは、おひさまの光も冷たい風も全身で感じて全力で生きています。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章8節節
『光の子として歩みなさい。』

12月の「園だより」から

 人生には時として全く予想もつかないことが起こりますが、コロナウィルスの感染が広がりここまで生活スタイルが変わることをほんの1年前は想像もしませんでした。この1年、プライベートでも、園の子どもたちとも「コロナが終わったらご飯行こうね」「コロナが終わったらバス遠足に行こうね」などとコロナ禍を励ましながら過ごしてきましたが、この生活はいつ終わるのでしょう。先が見えない我慢は不安だし辛いものです。
 アドベントに入りました。今から2千年以上前のイエスキリストの誕生の夜の出来事を思うとき、長い間貧しく辛く社会的に弱い立場とされてきた羊飼いの「ずっと待っていた希望」への思いの深さを思います。いつかきっとこの苦しい生活が終わると信じ、救い主の誕生を待ち続けてきたのです。そしてやっと救い主が生まれたという喜びの知らせは天使によって誰よりも先に羊飼いに知らされました。子どもたちが大きくなっていくこれからの時代にどのような困難があったとしても、「希望」を持ち続けられるようにと祈ります。例年通りではないその中に、喜びを見出し、クリスマスと年末年始の時を過ごされますように。 《園長 小林路津子》

ルカによる福音書 2章11節
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。』

11月の「園だより」から

 お泊り保育が出来なくなった年長組ばらぐみさん。泊まらないけれど夜8時まで保育を行うことにしました。「ばらウィンパーティ」と名前を付けて、「何がしたいのか」「何を作りたいか」「夕飯は何がいいか」みんなで考え、ばらぐみさんのやりたいことがいっぱい詰まったものになりました。みんなが意見を出し合ったので通らなかったものもあります。コロナウィルスだから我慢しなければならないこともあります。そんな気持も大切にして乗り越えて作り上げた「ばらウィンパーティ」はきっと子どもたちの心に「思い出」として残るでしょう。わたしたちの住む日本は幸福度が低く、10代の自死率が高いといわれています。人格形成の上で最も大切な乳幼児期に、楽しい、うれしい、気持ちいいなどの体験をすること、愛されているという思いを持つことは「自己肯定感」を培い、それは「生きる力」となっていきます。
 先日、ハロウィンの大きなかぼちゃを見つけたので、子どもたちと中をくりぬいてジャック・オ・ランタンを作りました。「これ、ほんもののかぼちゃ?」「これなに?タネ?いっぱいだね」と言いながら。そして「植えてみたい。ちょうだい」「お砂場に植えていい?」と(笑)。「お砂場に植えると遊びたいお友だちが困っちゃうかも」と言うと、植える場所を考えたようです。いつも子どもたちは楽しいことを探しています。この心がこれからもつながっていくことを願い、今月の聖句、受ける喜びと与える喜びを共に考えていきたいと思います。  《園長 小林路津子》

使徒言行録 20章35節
『受けるよりは与えるほうが幸いである。』

10月の「園だより」から

「カマキリがいた!おっきいの!つかまえたい!」「どんぐりと栗を拾ったからもってきたよ!」「みて!どんぐりでこまが作れる。」「カマキリのうんちってどこからでるの?」
 やっぱり秋は楽しい。いろんな発見があります。その発見から「ふしぎだね。なんでかな?」という疑問が生まれます。「探求心」です。スマホで検索すれば大抵のことはすぐ解決されますが、不思議がそんなにすぐ解決されては面白くありません。図鑑を何冊も並べて「これじゃない?」とか「あー!なるほど」とか言いながら納得するのです。自分たちで解決できたという「達成感」です。「探求心」と「達成感」は乳幼児期の心の育ちに最も大切な「非認知能力」の一つですね。
 お散歩に出かける乳児組のお友だちも秋の風に吹かれながらいろんなところを指さして、驚いたり笑ったり「発見!」の連続です。
 新型コロナウィルス感染症予防の為に園での保育や行事を例年の様に行うことが難しくなりました。子どもたちを感染から守ることが何よりも大切なことです。一方で、子どもたちの「心の育ち」を考えたときに、今まで行ってきた行事や保育を行えないのであれば、形を変えていかなければならないと思いました。運動会を中止にすることも考えた中で、「新しい形の運動会」を作っていこう、と考えました。先ず「運動会」というネーミング!もっと楽しくてうれしいネーミングないかな、と教職員が話し合って「元気っこカーニバル!」という名前が付きました。そしてテーマ!「めいっぱい笑って!~キラキラfamily~」保護者の方も一緒にみんないっぱい笑って笑顔になれるようにと願いを込めました。
 青い空が広がり、さわやかな風を感じるこの季節、外で思い切り体を動かし、自然に触れ、乳児組も幼児組も元気に楽しく過ごしていきます。 《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 22章39節
『隣人を自分のように愛しなさい。』

9月の「園だより」から

 コロナウィルス感染のことに加え、猛暑の日々でしたが、例年とは違う夏をどのように過ごされたでしょうか。9月のねらい(ねがい)は「友だちとともに」。そして聖句は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」です。ソーシャルディスタンスが求められている今、「ともに」という言葉の重みを強く感じます。取手幼稚園では毎日礼拝をし、お祈りをしていますがお休みのお友だちのことを必ずお祈りします。一緒にその場にいなくても「心はともに」いることを伝えたいと願っています。日中はまだまだ暑いのに朝夕少しずつ季節の移り変わりを感じるようになりました。風、葉っぱの色、花、虫の声、体中にアンテナを張って五感をフルにつかって毎日を楽しむ子どもたちと自然に触れ自然を感じて過ごしたいと思います。秋は発見がたくさんある季節。毎日がドキドキとワクワクなんです。さあ、今日はどんな面白いことがあるのかな。大人ではもう発見できないことを子どもたちがいつも教えに来てくれるのが私の喜びです。《園長 小林路津子》

ローマの信徒への手紙 12章15節
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

8月の「園だより」から

 Withコロナなどという言葉が聞かれるほどになっていますが「早くこの生活が終わらないかな」というのがやはり本音です。私たちの仕事は、夏のこの時期には毎年研修やセミナーが行われ、割と忙しいのですが今年は全てキャンセルとなりました。旅行にも行けず、こんなにのんびりとした夏は久しぶりです。職員室で仕事をしながら子どもたちの歌声や笑い声を聞き、外からはセミの鳴き声が聞こえます。そんな時8月の保育のねらい「ゆったりと」という言葉に出会いました。(毎月保育のねらい(ねがい)は「キリスト教保育」という保育誌を参考にしています)子育てや毎日の生活の中で「早く」という言葉がどれほど聞かれるでしょう。「早く幼稚園の生活になれるように」「早く〇〇が出来るように」・・・この「早く」には、"愛しているからこそ”の思いや願いが込められています。でも子どもたちを見ていると、そんなに急がなくてもちゃんと成長していることがわかります。先日園で飼っているザリガニが死んでしまいました。お庭に埋めてあげようか、というと何人かの子たちが穴を掘ってくれました。そして子どもたちが自発的に(私が言ったわけでもないのに)お花摘んできて、お祈りをしていました。「天の神様、ザリガニさんが天国で元気に暮らせますように」。なんて素敵なお祈りでしょう。死んでしまったけれどザリガニさんのこれからの幸せを願っているのです。わたしは嬉しくなりました。だいじょうぶ。ちゃんと思いは伝わっています。ゆっくりとゆったりと子どもたちは子どもたちなりに感じ、考え、成長しています。急ぐ必要などないのですね。
 このコロナ禍の夏を健康に過ごせますようお祈りしています。そしてどうぞ「ゆったりとした夏」をお過ごしください。《園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 2章14節
キリストはわたしたちの平和であります。

7月の「園だより」から

 幼稚園が登園自粛期間の5月、まだ使われていなかった子どもたちの靴箱にセグロセキレイという鳥が巣作りを始めました。しばらくすると卵を5つ産み、かわいい雛が生まれ、親鳥たちが餌を運んでいました。6月になり、登園が始まった子どもたちは、喜んで毎日「今日は元気かな」と巣を除き話しかけてみたり、「うるさくすると赤ちゃんだからびっくりしちゃうよ。」と、そーっと歩いたり。優しい気持ちでその成長を見守っていました。ところがある日、巣の中にいたはずの雛鳥がいなくなっていました。朝早い時間にカラスか何かの動物が連れ去ったのでしょう。子どもたちになんて話そうか悩みました。がっかりすると思ったからです。ところが子どもたちの想像力はすばらしいものでした。「お買い物に行ったのかな?」「引っ越ししたんだね」「お母さんに会いに行ったんじゃない?」と。大人の私たちは思いもしないことを子どもたちなりに考え、幸せになっていると想像したのでしょう。そう、本当のことは誰にも分かりません。「どこかで幸せに暮らしているといいね」と話しました。《園長 小林路津子》

マタイによる福音書 25章40節
最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

3月の「園だより」から

 3月は幼稚園にとってお別れのある特別な月です。職員室の私の席から園庭の大型遊具で遊ぶ子どもたちがよく見えます。小さい子も大きい子も一緒に楽しく笑う姿、けんかしたり転んだりして泣く姿…、様々な姿を見ていてその成長に驚くとともに無限大の可能性を持っている子どもたちの未来に希望があるようにと願わずにはいられません。もうひとつ3月に思うのは東日本大震災のこと。9年前のあの時、私は目に見えない大きな不安の中、幼いわが子達をどのように守っていったらよいか必死に自分を奮い立たせて過ごしていました。今年、いつもよりもそのことを強く思い出すのは、新型コロナウィルスのせいでしょうか。今、私たちの周りで、あるいは私たち自身がいつ感染してもおかしくない状況にある中、幼い子どもたちと共にある保護者様も少なからず不安の中にいらっしゃることと思います。感染予防の為に出来ることは限られていますが、入学、進級を控えたこの時期に子どもたちが大きな不安を抱えることのないよう、そして今、感染やその可能性で大変な状況にある人たちの為に祈りつつ、日々を大切に過ごしていきたいと思います。《副園長 小林路津子》

箴言 23章18節
確かに未来はある。あなたの希望が絶たれることはない。

1月の「園だより」から

♪背伸びをしたらひざしのにおい ♪もうすぐ春かもしれないな ♪北風吹いて耳までいたい ♪まだまだ冬かもしれないな・・・「あたたかいひ さむいひ」という歌の始まりの歌詞です。私がまだ若くてかわいくて(笑)元気いっぱいで担任を受け持っていた頃、子どもたちとよく歌いました。外に出て五感をフルにつかって季節を感じ子どもは成長します。空の色! 風の冷たさ! 水たまりの氷! 風のにおい! 雪の下にチューリップの芽を見つけたり、大きな木の枝に膨らんだ芽を見つけたり・・・。
 今月の月の願いは「いっしょに」。なんて素敵な言葉でしょう! 「やってあげる」とか「やってもらう」もいいけれど「いっしょに」ができたらとてもうれしいですよね。チューリップも風も空も子どもたちと「いっしょに」変化し、成長しています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。《副園長 小林路津子》

詩編 96編1節
新しい歌を主に向かって歌え。

12月の「園だより」から

 早いもので1年の最後の月になりました。子どものころ12月は大好きな月でした。だって、クリスマスあるし、大みそかあるし。クリスマスの夜、サンタクロースが来るのをドキドキしながら待っていたこと、大みそかにはこたつに入って年越しそばならぬ「年越しラーメン」を食べて。(何故かラーメンでした。父がラーメン好きで・・・今思えば変ですよね。)
「サンタさんってどうしてほしいものを知っているんだろうね?」子どもたちの会話の中から聞こえてきた声です。本当に無邪気でかわいらしい会話です。大人になった私はこの子たちの未来の幸せを願わずにはいられません。今年も日本で、世界で災害や戦争のようなことがたくさん起こりました。差別や貧困もなくなりません。そのような中で大きくなっていく子どもたちに世界で一番初めの本当のクリスマスを伝えクリスマスまでの日々を過ごします。今月の月の願いは「よろこぶ」。「もらう喜び」に感謝するとともに「与えることの喜び」を考えていきたいと思います。《副園長 小林路津子》

ルカによる福音書 2章11節
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

11月の「園だより」から

「電気が止まっちゃうとどうなっちゃうんだろう?」「夜になっても真っ暗!」「冷蔵庫も使えなくなっちゃうし、テレビも見れなくなるんだよ」「コンビニで買って来ればいいじゃん」「タブレットでユーチューブ見ればいいじゃん」・・・先日の台風による被害のニュースを見た後の子どもたちとの会話です。なるほど、これだけ便利な生活をしている子どもたちにとって電気が使えないということを想像するのは難しいことなのでしょう。子どもたちを見ていて、これだけ災害の多い時代を生きる子たちに何を伝えたら良いのか、と思います。地震や水害のその時、命を守ることも大切ですがそのあと生き抜いていかなければなりません。いつも当たり前にあるものがなくなったとき、どのようにしたらよいのでしょう。「考え、工夫する力」これはどのようにして培われていくものなのでしょう。子どもたちは「遊び」や「生活」の中からこの力を習得していきます。遊びや生活の中で「うまくいかないこと」をも経験し、考え、やってみるということ。そして失敗を重ねながら自分なりの納得と成功を積んでいくこと。ここで大事なのは「自分なりの」ということ。子どもたちの「自分なり」を大人が壊すことのないよう、見守っていきたいと思います。《副園長 小林路津子》

詩編 115編16節
天は主のもの、地は人への賜物。

10月の「園だより」から

 私はこの時期にしか食べられない青いみかんが大好きです。熟す前の酸っぱいミカンは9月終わりから10月初めにスーパーで売られています。
 10月は運動会がありますね。私は「一番好きな教科は音楽、一番嫌いな教科は体育」というこどもでしたから小学校の運動会は、ダンスはとても楽しかったのを覚えていますがあとは嫌いでした。中でもかけっこは嫌でしたね。私は小さいころから走ることが苦手です。かけっこはビリ以外とったことがありません。しかもビリから2番目の人からすごーく離れたダントツのビリでした。そんな私に、運動会のお昼の時間お弁当を食べながら父が毎年言った言葉があります。「ビリがいるから1位がいるんだ」そして、運動会のお弁当に必ずあった青いみかん。私の運動会の思い出です。《副園長 小林路津子》

詩編 115編13節
主を畏れる人を祝福し大きな人も小さな人も祝福してください。

9月の「園だより」から

夏が終わろうとしています。とはいってもまだまだ暑い日は続きそうですが、でも気づいていますか?夕方、薄暗くなる時間が少しずつ早くなっていること。夕方から夜に吹く風が冷たくなっていること。葉っぱが緑から黄色や茶色に変わっていること。9月のねらいは「やってみたい」ですが、やってみたい!と思う気持ちは先ず「気づき」からです。身のまわりのいろんなことに気づき、「なんでだろう?」と思い、そして「やってみたい」につながります。子どもたちには季節の移り変わりを五感で気づいてほしいと思います。夏が暑いからこそ、風の冷たさに気づくものです。お子さんと一緒に手をつないで秋のお散歩に出かけてみてはいかがでしょうか。たくさんの発見を大人の私たちも感じ、子どもたちと共有したいものです。《副園長 小林路津子》

コロサイの信徒への手紙 3章14節
愛は、すべてを完成させるきずなです。

8月の「園だより」から

8月が近づいています。これから暑くなることでしょう。夏休みでお家で過ごすことの多いお友だちも、幼稚園で過ごすお友だちも、暑い夏にしかできない「わくわくする体験」をたくさんしもらいたいな、と願います。年長さんはお泊り保育があります。楽しみばかりではないでしょう。不安や戸惑いもきっとありますよね。その不安や戸惑いの気持ちを経験することも心の成長につながっていきます。これからの大きな自信につながっていくからです。
 今月の聖句には「キリストは私たちの平和です」を選びました。8月というこの月に、子どもたちにとっては遠い昔の出来事である戦争のことを思いながら、「平和」を考えたいと思います。《副園長 小林路津子》

エフェソの信徒への手紙 2章14節
キリストはわたしたちの平和であります。

7月の「園だより」から

 茄子ときゅうりとトマトの苗をみんなで植えて育てています。毎日お水をやりながら小さな苗がぐんぐん大きくなっていく様子を見てきました。「あれ?お花が咲いている! きゅうりのお花って黄色いんだね」。「お花の下に赤ちゃんきゅうりが生まれたよ!」「触ってごらん」「あ!チクチクする!」自分たちの手で収穫した野菜の形に驚き、においをかいで、そして少し興奮したようにほっぺたを赤くして給食スタッフさんに持っていきます。「お料理してください!」優しい給食スタッフさんが、その野菜をお昼の給食にしてくれます。「おいしいね」子どもたちは五感をフルにつかって毎日を過ごしています。色んなものに「触れて」そして感じること。そのことが実はとても大切で、豊かな感性に結びついていくのだと思います。夏の暑い日に冷たい水に触れて気持いい! お庭に遊びに来たトカゲのしっぽや背中に触れてびっくり! お友達や先生やおうちの人に「触れて」気持ちいい! うれしい! たのしい! いろんなものや人に触れて、「会えてよかったね」そんな出会いのある夏になるといいですね。《副園長 小林路津子》

詩編 136篇9節
夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。

6月の「園だより」から

 6月のねらいは「うごきだす」。この「うごきだす」って言葉、なんてわくわくするのでしょう! 雨降りのこの季節、いろいろなものが動き出します。そういえば、わたしはつい先日、幼稚園のお庭にモグラの穴を見つけましたよ。モグラさんが土の中で動いています。つばめがエサを探しに幼稚園へ遊びに来ます。田んぼからカエルの声が聞こえてきます。見えないところで何かが動き出している気配がします。みんなで植えた野菜もぐんぐん大きく動き出します。みんなの心とからだもぐんぐん動いています。雨の日の雨の音、水たまりの雨が落ちて輪っかがたくさんできる様子。雨降りの6月はわくわくがいっぱいです。この「わくわく」を、大人になった私はいつも忘れてしまって、そのたびに幼稚園の子どもたちが思い出させてくれるのです。《副園長 小林 路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章1節
あなたがたは神に愛されている子どもです。

5月の「園だより」から

 今日はどんな発見がありましたか?
 園庭で遊ぶ子どもたちの姿を見てほほえましくなります。4月から幼保連携型認定こども園に移行した取手幼稚園では0歳の赤ちゃんから5歳児のお友だちまでが共に過ごすことになりました。幼児組のお友だちは、小さい子が大好きなんですね。手をつないで一緒に歩いてあげたり、おもちゃを貸してあげたり、乳児組の子たちもお兄さんお姉さんに遊んでもらうのがうれしくて喜んでいます。そんな子どもたちの姿をみて、「ああ、いいなあ。よかったなあ」としみじみ思ってしまうのです。園舎の引っ越しをしたこの4月にはドキドキがたくさんありました。わたしもドキドキしていました。泣いている子はいないかな。安心して遊べているかなって。少しずつ、すこ~しずつみんなのことがわかってきました。きっと子どもたちも同じですね。
 5月ごろになると、むしや、葉っぱの色や、雲の形、空の色、風のにおい、いろんな発見があるのかもしれません。そして子どもたちも1か月前より確実に成長しています。《副園長 小林 路津子》

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章17節
絶えず祈りなさい。

4月の「園だより」から

 4月になりました。新しい園で、新しい生活が始まります。新しいお部屋、そして新しい先生…どんなお部屋なんでしょう? どんな先生たちなんでしょう? ドキドキしますね。私もドキドキします。
 取手幼稚園は今年度から幼保連携型認定こども園としてスタートしました。0歳の小さなお友達から6歳になるお友達が一緒に過ごします。はじめはちょっぴり戸惑うかもしれませんね。おうちの方もドキドキしますよね。どんな1年になるでしょう。このドキドキがわくわくに変わり、毎日が楽しくなるように新しい発見がまいにちたくさんあるように「いっしょに」過ごしていきたいと思います。《副園長 小林 路津子》

エフェソの信徒への手紙 5章8節
ひかりの子としてあゆみなさい。

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3月の「園だより」から

 やっぱり3月はお別れの季節なんです。ばら組さんが卒園していきます。「ありがとう、いつかまた会おうね」って言えたらいいなって、私(園長)は思います。それは、ぼくたち私たちが、「出会ってよかったね。おともだちになれてよかったね」っていう気持ちがあるからです。それはとってもすてきなことですね。すてきなだけじゃなく、ぼくたち私たちがこれから生きていくときに、いちばんたいせつなことでもあるんです。私(園長)も「ありがとう」を言いたいんです。だれに言いたいかって? それはね、この園舎と園庭に言いたいんです。ここまでたくさんのおともだちを守ってくれてありがとう。みんなを楽しくすごさせてくれてありがとう。こんなに大きくなることができました。ほんとうにありがとう、そして、さようなら。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

2月の「園だより」から

 季節の変わり目ですね。そういえば、少しずつ日が長くなってきたのに気づいていますか? これからまだ寒い日も続きますけれど、春が近づいているのがよくわかるのもこの時期です。みんなはどんなことをして遊びますか? おうちの中だけではなく、元気を出して、おそとにも出るようにしてみましょう。ちっちゃなお花が、ぴゅうぴゅう風にふかれて咲いています。あたたかい春が来るのを待って、みんな一所懸命です。

ヨハネによる福音書 10章11節
七の七十倍までも許しなさい。

1月の「園だより」から

 あけましておめでとうございます。今年もみんな、楽しく過ごしましょうね。よい一年になりますようにお祈りいたします。ところで、「よい一年」といいますけれど、それはどんな一年のことをいうのでしょう? 私(園長)は、「毎日を、大事に過ごす」ということだと思っています。自分とまわりを大事にしてほしいなって思います。だけど「大事に過ごす」って、じぶんが、けがや病気になったりしないこともありますけれど、お友だちや、まわりの人たちのことを「大切」にしながら毎日を過ごすことだけでなく、この地球で起こっているいろんなことを考えて毎日を過ごすことだと思います。だって私たちは、一人で生きているのではないのですからね。そういう世界のことも「大切」にしながら、新しい年を、仲良く過ごしましょうね。

ヨハネによる福音書 10章11節
わたしは良い羊飼いである。

12月の「園だより」から

 クリスマスの季節。でも男の子が一人生まれただけで、どうしてそんな大騒ぎに? 別に、王様とおきさき様の子どもでもないのに…。でもね、みんなが生まれてきたときも、お母さんやお父さんには「大事件」だったはず。みんながここまで大きくなって、どんなにうれしかったでしょう。イエスさまも、まずしいマリアとヨセフの子どもだったからこそ、無事に育って、やがて他の人の痛みとか苦しみを分かる人に成長したことは、周りの人にとって、やはり大きな喜びでした。みんなが大きくなって、だれかが困っているのを見たらクリスマス・ページェントを思い出してください。そして、何かしてあげたいと思ったら、そのときのみんなは、イエスさまみたいなのかもしれませんよ。

ローマの信徒への手紙 12章15節
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

11月の「園だより」から

 10月は、運動会や登山、お芋掘りなど、外でおもいっきり体を動かしましたが、これから少し涼しい日が多くなってきますね。そして12月はクリスマス…。あれっ、じゃあ11月はなにがあるの…? なんにもないような気がするけれど…。  取手幼稚園では11月に、作品展があります。絵本をグッと読みこんで、考えて、想像力をふくらませて、自分の手で作り上げていきます。じっくり「知って」「感じて」「考えて」「自分で表現すること」。なんにもないようだけれど、秋という季節は、人がそういうことに気持ちを集める季節なのかもしれません。木の葉がいつの間にか、ほんとうにいつの間にか、落ちてなくなっていきます。「冬が来るんだな…」。私も幼稚園児だった頃、お部屋の中で製作をしながら、窓越しに木々を眺めていたのを思いだします。秋の終りに、自然の移りゆく変化と、「じっくり」を子どもたちといっしょに過ごしたいですね。

詩編 136編25節a
すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。

10月の「園だより」から

 いよいよ秋らしくなってきました。「涼しい」、というか、なんだか「寒い」と感じる日もありますね。体がびっくりしちゃって、風邪なんかをひかないように気をつけてくださいね。今月は運動会や、ばら組さんには「筑波山登山」もありますよ。楽しい予定がいっぱいですけれど、こういう体を動かすことは、みんなが自分の体のことを自分でも気をつける時、はじめて楽しむことが出来るんです。もう少しすると、とっても気持ちのいいお天気の日が続きます。気持ちのいい季節の中を、思いっきり体を動かしてくださいね。

創世記 1章1節
初めに、神は天地を創造された。

9月の「園だより」から

 とっても暑い夏でしたね。みんな、どのように過ごしましたか? おかあさん、おとうさんは、きっとみんなの体のことが少し心配だったと思います。それくらいすごい暑さでしたからね。でもその暑い毎日の中、どんなことがあったか、一つひとつ思い出してみてくださいね。たくさんの時間を、たくさんの人たちと一緒に楽しく過ごしたと思います。そんなことを考えているうちに、「あれ、少し涼しくなってきたみたい」って感じられて、なんだかちょっぴりさびしい気分になりませんか? 「楽しい思い出をありがとう。来年また会おうね」って、夏と夏休みにさよならです。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物(たまもの)を授かっているのです。

7月の「園だより」から

 みんなであかちゃんのころから育てたカブトムシが、おとなになりました。きょうはかごから出してあげたら、いきなり「ブ~んっ!」って飛んで、屋根の上に乗っかってしまって、びっくりしましたね。でも、脚立を持ってきて、つかまえたのでひと安心です。みんな知ってた? カブトムシって、飛ぶんですよ。そう、夏が近づくとね、いろんな生き物たちが、とっても元気になるんですよ。私(園長)が生まれてはじめて自分でさがして、自分でみつけて、自分でカブトムシをつかまえたのは、小学校1年生の頃かな。でも、みつけるのにとっても時間がかかりました。カブトムシが元気なんだから、こっちも元気じゃないと、つかまえられません。みんなは夏休みをどんなふうに過ごすのでしょう。どんなことでもやってみましょう。でもね、元気だけはいつもわすれないでくださいね。

マタイによる福音書 7章12節
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

6月の「園だより」から

 今年は梅雨入りがいつもより早そうですね。園庭へ出て遊べない日が続くでしょう。だけど、一年の中でいちばんうっとうしいこの時季も、やっぱり大切なんだなぁと思います。毎年このころの園だよりに書いているのですが、園児だったころのわたしはカタツムリが欲しくて仕方なかったので、雨が降るのが楽しみでした。新しい長靴や傘をためしてみたくて、雨の日を心待ちにした思い出をお持ちの方もいるでしょう。お部屋の中でどう過ごすか、新しい遊びを発見するチャンスです。私たち大人は長雨を「やだなぁ~」とぼやいていますが、子どもたちは与えられた環境の中で何をするか、ちょっと大げさですが「生きるトレーニング」をしているのかもしれません。健康には特に留意を要するときですが、「心が元気いっぱい」になるには、なかなかよいひと月かもしれません。

イザヤ書 2章5節
主の光の中を歩もう。

5月の「園だより」から

 5月になりました。4月の頃の「ドキドキ」はもうなくなりましたか? じつは私(園長)もちょっぴりドキドキしていたんですよ。だって園バスだとか園庭だとかホールだとか、その辺に園長の顔がいきなり「ヌッ」と現れたら、みんなビックリしちゃうんじゃないかなって、心配だったからです。でもね、今みんなのことが少しずつわかってきました。みんなも園長のことを少しずつわかってきてくれています。いつも5月ごろになるとね、園長はこんなふうに思う日が多いんですよ。「あれ、朝は涼しかったのに、ちょっと遊んだだけでこんなに汗かいちゃった…」5月はそんなふうに季節がちょっぴりずつ変わっていくのがよくわかるんです。それと同じように、ぼくたちもちょっぴりずつ仲良くなっていきましょうね。

ヨハネの手紙Ⅰ 3章2節
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子です。

4月の「園だより」から

 4月になりました。ちっちゃいみんなも、新しい生活が始まります。新しいお部屋、そして新しい先生…どんなお部屋なんでしょう? どんな先生たちなんでしょう? まわりがちょっぴり変わるから、ちょっぴりドキドキするかもしれませんね。でもね、4月はホントはおとなのひとたちも、みんなちょっぴりドキドキしているんですよ。ドキドキはみんないっしょです。だから心配しないでくださいね。そして、ドキドキのぶんだけ、楽しいこともたくさん待っているかもしれないんですよ。そう思ったら、「ドキドキ」は「わくわく」にかわるでしょう。たくさんの「ドキドキ」を、たくさんの「わくわく」にかえていきましょうね。

テサロニケの信徒への手紙一 5章16節
いつも喜んでいなさい。

子ども礼拝 2018年3月2日

 3月の最初の金曜日の礼拝です。この月は3学期の最後の一カ月になります。それだけではありません。この3月みんなは、最後の日まで幼稚園に来ません。途中で、ばら組さんは卒園式があって、卒園してしまいます。卒園したら、もう幼稚園に来なくなります。すみれ組さんも、たんぽぽ組さんも、ばら組さんがいなくなった後、すぐに春休みになります。だから、ここにいるみんなでいっしょにいられるのは、あとちょっぴりです。ちょっぴりしかいっしょにいないのだから、大事にこの時期を過ごしましょうね。
 さて、ぼくたちわたしたちは、こうして毎日を過ごしています。楽しいこともあるし、やだなーって思うこともあるかもしれません。毎日、いつもぼんやり過ごしていると、いつの間にか時間がたってしまいますね。みんなは、この幼稚園に初めて来た日のことを覚えているでしょうか? 初めて先生たちの顔を見た時、どんなふうに感じましたか? そういうことを覚えているでしょうか? ずっと前のことかもしれませんね。
 あと少しで、ばら組さんとすみれ組さんとたんぽぽ組さん、お別れの日が来ます。明日が土曜日。その次の、そのまた次の土曜には、もう卒園式です。ばら組のおともだちは、「学校」に行ってしまいます。遠くに行ってしまうお友だちもいます。近くに住んでいても、そんなにいつも会うことはできません。ばらばらになってしまうんです。そのばらばらになってしまうお友だちと、どんなことをして過ごしますか? みんなで考えてみてください。みんなが幼稚園に来るのは、月曜日から金曜日。それを二回繰り返したら、その次の日は、ばら組さんの卒園式です。あんまり時間がないかもしれません。ちょっぴりの時間です。そのちょっぴりの時間を、どんなことをしましょうか? どんなことをしたら楽しい思い出になりますか? そういうことを考えてみてくださいね。

詩編 121編8節
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。

3月の「園だより」から

 3月です。今年度もいよいよあと一カ月で終わりですね。いま、みんなが過ごしているお部屋とも、もうすぐお別れですね。ばら組さんは、小学生になります。すみれ組さんも、たんぽぽ組さんも、もうすぐちっちゃいお友だちがこの幼稚園に来ますよ。それって、みんながちょっぴり大きくなるってこと。それは、ちょっとだけ、まわりがいろいろ変わっていくっていうこと。まわりが変わると、ちょっとドキドキするかもしれません。でも、安心してください。みんなが出会った本当のお友だちっていうのは、いつまでもずっとお友だち。そのことだけは、ずっと変わりませんからね。まわりが変わっていく時も、変わらないお友だちとの出会いを、大切にしてくださいね。

詩編 121編8節
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。

2月の「園だより」から

 とっても寒い日が続いています…なんて言っているのは園長だけかな? みんな元気に園庭を走り回っていますね。そういえば大雪が降った次の日も、楽しそうでした(毎日雪かきに追われる土地の方には申し訳ないけれど…少しおっきくなったらそういうことも知っていこうね)。こういう季節、私(園長)は、お日さまに照らされて少しずつ雪がとけていくのを見るのが好きなんです。あれを見ていると、春が来るのもこんなふうにちょっぴりずつだなって、思います。いつの間にか春になり、そしていつの間にかみんなもちょっぴり大きくなっています。あっという間の3学期ですけれど、毎日みんながちょっぴりずつ大きくなっていくのを楽しみに見ています。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

1月の「園だより」から

 新しい年になりましたね。今年もよろしくお願いいたします。3学期の始まるこの時期になると、「ばらぐみさんは、もうすぐ卒園だな」って思いながら、この先、この取手幼稚園の仲間だったみんなが作り上げていく世界はどんなかな? ・・・なんて考えちゃいます。どんな時代が来ても、力強く生きていける人になってほしいと思っています。私(園長)も、自分がそうなれたらいいなって思います。
「力強く」って、どんなこと? ってきかれると、ちょっとむずかしいけれど、みんながほんとうに大切だと思うことを、どこまでも大切にできたら、それは「力強い」ということなんじゃないでしょうか。
 2018年もまた、少しずつ、力強く歩いていくことができたらなって思うんです。

創世記 1章31節
神はお造りになった全ての物を御覧になった。見よ、それは極めて良かった。

12月の「園だより」から<

 12月になりました。今年もあと少しで終わりですね。一年の終わりにクリスマスが来ます。クリスマスって「希望」です。子どもたちが取り組んでいるクリスマス・ページェントは、その「希望」を表現します。来るべき新しい年がこんな年であってほしい…、誰にでもこういう願いがあります。その願いがかなうために、せいいっぱいに生きていく、それが「イエスの誕生」に出会った人たちに与えられた「希望」だったと思います。その「希望」を子どもたちが、それこそ「せいいっぱいに」演じます。ページェントでのお子様の姿に「希望」を感じてください。

コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章7節
喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

子ども礼拝 2017年12月1日

 あさっての日曜から、アドヴェントです。アドヴェントっていうのは、「待つ」っていう意味です。「クリスマスが来るのを待ちましょう」っていうことです。でも、ぼくたちわたしたちは、いやなことを待ったりするでしょうか? いいことを待っているのではないでしょうか? 今年は2017年です。でも、その2017年という年も、もうすぐ終わります。新しい年が来ますよね。みんなが、ひとつ大きくなるということです。ちょっとだけかもしれないけれど、みんなは大きくなるんです。そのときみんなは、どんなことを考えますか? みんなが大きくなるっていうことは、体が大きくなることだけじゃありません。みんながいろんなことをわかるっていうことです。お友だちに、いやなこと言っちゃったな。意地悪しちゃったな。それって、悪いことしたな。そういうこと、いろんなことを、自分で考えてみるっていうことです。こういうことは、今のみんなにはすぐに分からないかもしれないけれど、もうちょっとするとわかってきます。
 さて、クリスマスが近づいていますよね。クリスマスが終わると、みんなは新しい年を迎えます。ちょっとだけ大きくなります。クリスマス・ページェントの練習をしていますよね。ページェントやっていくうちに、みんなは少し大きくなっていきます。だって、難しいことやるんですから、それをがんばってやったとき、みんなの体は大きくならなくても、みんなの心はきっと大きくなっていますよ。新しい年に、みんなが大きくなってゆきます。どんなふうに大きくなってゆくか分かりません。でもね、新しい年も、一生懸命がんばってほしいなって、私(園長)は思います。一生懸命がんばると、みんなは、自分では気がつかないかもしれませんけれど、みんなは、少しずつ大きくなっているに違いありません。

コリントの信徒への手紙Ⅱ 19章7節
喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

子ども礼拝 2017年11月17日

 もうすぐ収穫感謝の礼拝をします。「収穫」っていうのはね、ちょっと難しい言葉ですね。食べ物になる、お野菜や、お米や、果物などを、「とってくる」ことを「収穫」って、いいます。でも、「とってくる」といっても、どこからとってくるのでしょう?
 ちょっと前のお話になりますけれど、みんなこないだ、「おいもほり」に出かけましたね。おいもはたくさんとれましたか? どんなところから、おいもをとってきたんですか? そう、土の中から掘り出したんだと思います。土の中といっても、土の中ならどこにでもおいもがあるってわけじゃありません。たとえば、この幼稚園の園庭の中においもがあるでしょうか? ないんです。あそこで、みんなに、おいものほりかたを教えてくれたお兄さんが、あそこにたねをまいて、大事に育てたから、あんなに大きいおいもがでてきたんですね。
 おいもだけじゃありません。ぼくたちわたしたちが食べるお野菜や、お米や、果物は、たいてい、種をまくとか、苗を植えるとかして、そのあと、お水をあげたり、大事に育てて、そのあとではじめて、食べられるようになるんだね。だから、そういうふうに、お野菜ができたら、とってもうれしいんだね。種をまいたり、お水をあげたり、人もがんばります。そういう人たちを神さまが見ていて、「あ、がんばっているな。それじゃ雨を降らせてあげよう。お日さまの光をあててあげよう。」って、神さまもがんばってくれちゃうんだね。みんなががんばって、はじめて食べ物をじぶんのものにできるんです。だから食べ物って大事なんです。みんなもここでお弁当や給食を食べるまえに、「ありがとう」のお祈りをしますよね。その「ありがとう」の気持ちを、どんなときにも忘れないようにしてほしいなって私(園長)は思います。

マタイによる福音書 6章11節
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

11月の「園だより(副園長が執筆)」から

 「だいじょうぶ?」「泣かなくてだいじょうぶだよ」「やってあげる」そんな声が聞こえてきます。
 10月は運動会やおいもほりが、ばらぐみさんは筑波山登山がありました。行事をひとつひとつ経験するごとに、子どもたちの成長を感じます。大きい子が小さい子に教えてあげたり、困っている子がいたら声をかけてくれる姿が自然にみられるようになりました。戦隊ヒーローが大好きな子どもたちですが、「強い」ってどんなことかなって、お話しをしました。けんかに勝つこと? 負けても泣かないこと? 他者の気持ちに寄り添う時、自分だったらどうかな?って思う「想像力」を大切にしたいものです。
 雨がたくさん降りましたね。私たちの生活は雨により助けられていることを覚え、その一方で台風により大変な災害にあわれた方たちがいることもいつも忘れないで過ごしていきたいと思います。

マタイによる福音書 6章11節
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

10月の「園だより」から

 だんだん涼しい日が多くなってきました。それでも運動会の練習をやっていると、どっと汗をかくことでしょう。運動会も、もうすぐです。
 運動会の練習――保護者の皆さまには残念ながらご覧いただくことができませんが、私(園長)は、ここにもう一つの運動会があると思います。わずか二週間の練習の間に、子どもたちはいろいろなことを覚えていきます。それは技能ではなく、取り組む一生懸命さです。それを見ることができるとき、この仕事をやっていてよかったと、本当に思います。
 取手幼稚園には、皆さまに観ていただくための「特訓」のようなものはありません。しかし、子どもたちが、楽しみながらも、熱意をもって取り組んでいけるか、ということは大切にしています。運動会を楽しみにお待ちください。

ヨハネの手紙Ⅰ 4章19節
神がまずわたしたちを愛してくださった。

9月の「園だより」から

 夏休みが終わりましたね。みんな、ちょっぴりさびしいですか? それはね、この夏休みの40日を、みんながとっても楽しく過ごしたからです。いい思い出だったからですよ。いいお友だちだったって言ってもいいかもしれません。そのお友だちがいなくなってしまいました。だから、さびしい気持ちになるんですよ。でもね、それは来年また会えるお友だちです。そして、これから始まる季節、「秋」っていう季節も、きっと同じくらいステキなお友だちですよ。どんなステキなお友だちか、先生たちに訊いてみてくださいね。

マタイによる福音書 22章39節
隣人を自分のように愛しなさい。

子ども礼拝 2017年7月7日

 7月の聖句をみんなで憶えていますね。「みんながして貰いたいことを、他の人にもしてあげてください」という意味ですよ。みんなは、どんなことを、ほかの人からして貰いたいでしょう? いろいろあると思いますけれど、きっと「嬉しいこと」をして欲しいでしょう。いやなことなんかして欲しくないに決まっています。でも「嬉しいこと」がいつもいいこととは限りませんね。たとえば、私(園長)はチョコレートが大好きです。チョコレートを貰ったらうれしいんです。だからみんなにもチョコレートあげようと思ったとします。そこまではいいのです。でも、みんながそのとき虫歯だったらどうしますか? 虫歯の時にチョコ貰っても、うれしくない。園長は自分が貰ったら嬉しいけれど、みんなは嬉しくないってことになりますよね。
 私(園長)はこんなふうに思います。「その人のためになることってどんなことかな」って、いつも考えてみたらいいんじゃないかな。「おともだちのためになること」って、どんなことでしょう。ふだんだったらチョコ貰ったら嬉しい。でも、虫歯になったときには、嬉しくない。同じチョコなのに、ですよ。
 ぼくたちわたしたちが、お友だちや、まわりの人たちが大好きです。だからその人たちを大事にしようって思います。そんなときには「その人のためになること」っていうのを考えて、してみてあげてください。その人のことを一所懸命考えて、その人のためになることをするのを「親切」っていいます。親切な人になっていけたらいいなって私(園長)は思います。

ルカによる福音書 6章31節
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

7月の「園だより」から

 いよいよ夏がやってきますね。このお話を書いているときはまだ梅雨の中ですから、あまりお天気がはっきりしませんけれど、夏休みになるころは、きっと毎日暑い日が続いているでしょう。夏休みには、どんなことをやってみたいですか? いろいろやってみたいことがあると思います。どの遊びから始めようかな? 私(園長)は生き物が好きだったから、虫や魚をつかまえる毎日だったかな…どんなことをして遊んでもいいんです。トコトンやってみてください。いまトコトン遊ぶと、きっとおとなになっても、いろんなことをトコトンやれる人になるでしょう。だから、夏休みって、ちょっと「せんせい」みたいなとこがあるかもね。思い切り楽しんでくださいね。あっ、でも忘れないでくださいね。幼稚園の先生たちも、みんなと会えない夏の間すごくがんばっていますよ。秋にはまた楽しいことをいっぱい用意して、幼稚園で待っていますからね。

ルカによる福音書 6章31節
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

子ども礼拝 2017年6月30日

 6月も今日で終わりです。これまでに「どんなことにも感謝しなさい」っていう言葉を憶えてきました。「感謝」っていうのは「ありがとう」って言うことでしたね。みんな、いろんな「ありがとう」の気持ちを持っていますか? 何かをしてもらったとき、おもちゃやお菓子をもらったら、ぼくたちわたしたちは、もちろん嬉しいけれど、それだけじゃありませんよね。目には見えなくても、ぼくたちわたしたちは、時々とっても嬉しいことがあります。そのときにきっと心の中では「ありがとう」を言っているんだと思います。でもね、心の中にある「ありがとう」の気持ちは、ちゃんと言ってみるといいですよ。みんなだって誰かから「ありがとう」って言われたら嬉しいでしょ? 黙っていると、心の中の気持ちはわかりませんよね。でも「ありがとう」って言ってもらったら、「あ、このお友だちは嬉しかったんだな」そういう嬉しいことをして、こっちも「良かったな」っていう気分になるじゃないですか。
 さて、こんなふうに「嬉しいこと」は良いことですよね。「嬉しい気持ち」と「悲しい気持ち」と、どっちが好きですか? ぼくたちわたしたちが「嬉しい」と思うことは、おともだちや周りの人たちも同じように「嬉しい」と思うでしょう。それじゃあ、ぼくたちわたしたちも同じように、お友だちや、ほかの人たちが「うれしい」と思うことをしてみたらどうかな? って思うんです。自分が「嬉しい」って思ったのはどんな時でしょう。それと同じことを、お友だちにしてあげることはできますか? ちょっとがんばってみてくださいね。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

6月の「園だより」から

 私(園長)が幼稚園の頃、どうしてもホンモノのカタツムリがほしかったというおはなしを前にしたことがあります。雨の日のほうがうれしいくらいでした。「どうしてこの子はカタツムリなんてほしがるんだろうね」と母は不思議がりながらも、雨ガッパを着せてくれ、長靴をはかせて、虫カゴを持たせてくれました。さて、意気揚々と雨の中を出かけるのですが、おいそれ見つかるものではありません。ガッカリして家に帰るのでした。
 次の日は幼稚園でお絵かき。雨の中をひとりぽつねんとたたずんでいる自分を描きました。「よしと君、これは何をしているところかな?」と先生が訊きます。「でんでんむし探しに行ったとこ。でもいなかったんだ。雨の日にいるって、ごほんに書いてあったのに」すると先生は「よしと君、この次はここにでんでんむしさん描けるといいね」――カタツムリには会えなかったけれど、その時なんとなくホッとしたんです。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

子ども礼拝 2017年5月26日

「いつも喜んでいなさい」っていうことですね。先週も、どんなときに「やだなー」って思うか、みんなにきいてみました。いろんなときに、ぼくたちわたしたちは悲しい気分になったり、「やだなー」って思ったりしますよね。そして、そんなときにガマンできるようになったらいいねっていうお話をしました。今日はもう一つ、ちょっと違ったお話をしますね。ぼくたちわたしたちが「やだなー」って思っていることがたくさんあるのですが、それが、ぼくたちわたしたちのために良いことかもしれないんです。ぼくたちわたしたちが、先生に叱られたとしますよ。それは「いやなこと」かもしれません。でも、どうして先生はみんなを叱るのでしょう? それはみんなのことをホントに好きだからですよね。みんながホントに元気でお友だちを大切にする人になってほしいから、だからみんながいけないことをするときに、先生はみんなを叱るんです。叱られて、ぼくたちわたしたちは「あ、これからはこんなふうにしよう」って思います。それと同じように、ぼくたちわたしたちは、何か「やだなー」っていうことがあったときも、そこから「次はこんなふうにしてみよう」って考えます。どうしたら「やだなー」っていうことをナシにできるか考えます。そうすると、次には、その「やだなー」っていうことが、なくなるかもしれないじゃないですか! 「いやなこと」も、ぼくたちわたしたちに役に立つことがあるっていうことですね。「やだなー」って思うことに負けずに、がんばってくださいね。

テサロニケの信徒への手紙1 5章18節
どんなことにも感謝しなさい

子ども礼拝 2017年5月19日

「いつも喜んでいなさい」っていうことですね。いつもうれしいことや、楽しいことがあったらいいですね。そしたらぼくたちわたしたちは、いつも喜んでいることができます。でもそんなことを言われても、悲しいこともあるし、やだなあって思うときもあるでしょう。みんなはいつも幼稚園で楽しいですか? どんなときが楽しいですか? そして、どんなときがやだなあって思いますか? ぼくたちわたしたちは、いつも楽しかったらいいに決まっています。でも、楽しいこと、うれしいことばかりではありません。それはみんなだけではありません。私(園長)のような大人でもそうです。でもね、私はこんなふうに思います。ちょっとぐらい苦しいことや、いやなことがあっても、それをガマンできるようになれたらいいと思いますね。どうしたらそれができるんでしょう? きっと明るい気持ちを持っていることです。ちょっとぐらい泣きたいことがあっても、悲しいことがあっても、みんなが明るい気持ちを持っていると、乗り越えることができるんじゃないかな? 明るい気持ちっていうのは、きっとぼくたちわたしたちにはいいことがあるって、いつも思っていることです。明るい気持ちを持って、毎日を過ごしてくださいね。。いろんなときに、ぼくたちわたしたちは悲しい気分になったした。今日はもう一つ、ちょっと違ったお話をしますね。ぼくとかもしれないんです。ぼくたちわたしたちが、先生に叱られことをホントに好きだからですよね。みんながホントに元気でられて、ぼくたちわたしたちは「あ、これからはこんなふうにから「次はこんなふうにしてみよう」って考えます。どうしたるかもしれないじゃないですか! 「いやなこと」も、ぼくた

テサロニケの信徒への手紙1 5章16節
いつも喜んでいなさい

5月の「園だより」から

 ある日、お花が咲いたとします。「うれしい」って思うお友だちはいますか? そのお友だちは、お花がしぼんでしまったら、きっと悲しいでしょう。「どんなお花が咲くんだろう」、「お水は毎日あげるのかな?」…いろいろ考えます。咲いたらもう嬉しくて、毎日見ます。でも、やがて枯れていきます。さびしいのと一緒に「お水忘れたりしなかったかな」なんて、ちょっと考えます。わくわくして、一生懸命お世話して、うれしくて、悲しくて、さびしくて、そしていろいろ考えて…そう、たくさんの思い出ができるんです。でも、お花が咲いても知らんぷりの人は、お花が枯れても、きっと知らんぷりでしょう。それだけ。それって、ちょっとつまんないですね。お花だけじゃありません。ぼくたちわたしたちのまわりにあるいろんなこと、「知らんぷり」をやめにして、よぉーっく見てみませんか。それはね、みんなが優しくなったり強くなったりするチャンスなんじゃないかなって、私(園長)は思うんですょ。

テサロニケの信徒への手紙1 5章16節
いつも喜んでいなさい

4月の「園だより」から

 新しい年度が始まりました。新しくこの幼稚園に入ったおともだち、ちょっぴりドキドキわくわくしていますか? ここから先にどんなおともだちが待ってるかなって思うと、ドキドキわくわくしちゃうんですよ。だから今日から、幼稚園で楽しくすごしてくださいね。そして、前から幼稚園にいるおともだち、えっ? あんまりドキドキわくわくしないなぁ、ですって? でも、ほら、新しく来るおともだちと遊ぶこと、考えてみてください。ね、やっぱりドキドキわくわくしてきたでしょ? この幼稚園の中で、みんなで楽しく過ごしましょうね。

マタイによる福音書 6章28節
野の花がどのように育つのか注意して見なさい。

3月の「園だより」から

 お別れの季節ですから、私(園長)は3月が嫌いです。いいえ、嫌いでした。えっ、今は好きか、ですって? う~ん、よくわかりません。だって、みんなとお別れしなきゃいけないし…それってやっぱり寂しいですよね。でも、こんなふうに考えて、お別れもガマンしてみようって思うんです。ぼくたちわたしたちは、誰かとお別れするとき、ちょっとずつ「心」が大きくなっていくんじゃないかなって思います。先生やお友だちとお別れするのが寂しかったら、そのとき、先生やお友だちが、みんなのことを大きくしてくれたって思ってください。そして、みんなもまた、先生や、お友だちの「心」を大きくしている…そう思うと、この季節も悪くないかなっていう気がします。

ヨシュア記 1章9節
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。

2月の「園だより」から

 2月の節分は冬から春への季節の変わり目ですが、冬と春の間をいったりきたりで、まだまだ寒い日が続きますね。幼稚園でもばらぐみさんの卒園準備や、新しく入ってくるお友だちの一日入園など、普段と違ったことが多い時期です。それってちょっと落ち着かないときのように思えます。でもそんなときだからこそ、互いにもうすぐ離れ離れになるお友だちのことなんか、ここまで、どんなことがあったか、少し思い出してみるのもいいかもしれません。けんかもしましたか? 仲直りするのはたいへんでしたか? まだ仲直りできないままですか? お別れしたらもう会いたくないですか? それとも・・・・・・いろいろ考えてみてくださいね。

サムエル記上 17章47節
主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされない。

子ども礼拝 2017年 1月27日

 以前に「ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれ『いいところ』を持っている」っていうお話をしましたよね。その「いいところ」は、自分では、あまり気が付かないっていうことも話しました。でもね、周りの人が良く見ていると、わかっちゃうんです。みんなも、周りのお友だちのいいところは、すぐわかるでしょ? おともだちのいいところがあったら、ぼくたち私たちも「そんなふうになりたいなあ」って思います。いいなって、思ったところは、なんでも真似してみたらいいと思います。「まねする」って、ちょっといやな感じがするでしょう。でもね、「いいなあ」って思うことは、真似してもいいと思いますよ。
 だけど、ぼくたち私たちはみんな少しずつ違いますから、どんなにまねをしてみても、お友だちとまったく同じようにすることはできませんよね。でも、それでいいんです。お友だちを見て「あ、いいな」ってみんなが思うとき、みんなは、自分で気が付かなくても、自分の中でなにか「いいことをしたい」って思っているんですよ。
 それからもうひとつ。みんなはおともだちのまねをしなくても「いいところ」を持っているんですよ。それはね、みんなが何か役割をやろうとしているときにそれが分かります。そういえば「発表会」がちかづいていますよね。発表会でも、みんな一人ひとりは全部を自分だけでやることはできません。みんなで一緒にやります。そのとき全部のうちのどれか一つをやりますよね。それを「役割」っていいます。その「役割」っていうのをいっしょうけんめいやるとき、みんなの「いいところ」がでてきますよ。
 発表会だけじゃなくて、どんなところでもそうです。みんなのお部屋でみんなはどんな「役割」をやっていますか? その「役割」をいっしょうけんめいやってみて、周りの人たちがそれをよろこんでくれたら、それがみんなの「いいところ」だと、私(園長)は思います。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

子ども礼拝 2017年 1月20日

 ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれいいところを持っています。「いいところ」っていっても、自分のことは、自分ではあんまりよくわからないかもしれません。ちょっと考えてみてください。みんなは何かを上手にできますか? どんなことが上手にできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」ですね。またはみんなはお友だちに優しくできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」です。ちょっとぐらいいやなことがあっても、がまんできますか? もしできたら、それはみんなの「いいところ」です。他にもたくさん、みんなは「いいところ」っていうのがあります。
 この幼稚園の、みんなは何人ですか? 29人ですね。みんな一人ひとりが、「いいところ」を必ず持っています。
 みんなが持ってる「いいところ」っていうのを大事にしてください。「いいところ」っていうのを、なくさないでください。どうしたら「いいところ」をなくさないようにできるのでしょう?
 みんなの「いいところ」を、ほかのお友だちとか、周りの人たちが見て、喜んでくれたらいいなって私(園長)は思います。
 みんなは「自分のいいところって、何かな?」って思うかもしれません。ひょっとしたら、「自分のいいところなんて、なさそうだな」なんて思っているかもしれません。でも、おともだちとか、ほかの人たちがみんなを見て、とっても嬉しく思ったり、喜んだりしたら、それはみんなの「いいところ」です。みんなの「いいところ」っていうのはね、周りの人たちを喜ばせることができるんです。おともだちとか、周りの人たちが、みんなと一緒にいて、とっても嬉しく思ったり、とっても喜んだりする時、みんなはとっても「いいところ」を持ってるんだと思ってくださいね。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

1月の「園だより」から

新しい年になりました。どんな一年にしましょうか? といっても、園長が小さい頃には、「こんな一年にしよう!」なんて気持ちはあんまりなかったかなぁ・・・。でも、一年が過ぎ去って、それはもう二度と戻ってこない一年なんだって、教えてもらった思い出があります。二度と会えないお友達みたいなものなんだって。だから、どんな一年になるかはわからないけれど、大切に過ごさないといけないですよね。でも「たいせつ」って、どんなふうに? きっと、まいにちまいにち「どこまでもやってみる」ってことじゃないかな? どんなことでもいいですよ。やってみたいこと、どこまでもやってみてください。それがみんなにとって「一年を大切に過ごす」ことだと、私(園長)は思います。

ペトロの手紙Ⅰ 4章10節
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。

子ども礼拝 2016年 12月1日

 新しい月が来ました。12月ですね。クリスマスが近づいて、みんなもページェントの練習を一生懸命やっていますね。
 ところでサンタクロースのほかに12月っていうと何を思い浮かべますか? そう、雪が降ったりして、寒い季節ですよね。今年は特に寒いですよ。でもそんなときにイエス様は生まれたんです。それがクリスマスの夜なんですよ。みんなはこの12月の夜、お外にいたらどうですか? とっても寒くて、ちゃんとお洋服を着ていないと、がまんできないですよね。今日の寒さはがまんできるかな? でも、イエス様が生まれた日は、きっと我慢できない寒さだったと思います。寒いのをがまんするのはとってもたいへんだけれど、みんなは今までがまんできないようなことが何かありましたか? がまんできないくらい痛かったとか、がまんできないくらい悔しかったとか、がまんできないくらい悲しかったとか、がまんできないくらいおなかがすいたとか…。そういうことがありましたか? みんなが生きていくときには、そんなふうにどうしても「がまんできないとき」っていうのが時々あります。「がまんできないとき」にイエス様は生まれてきました。がまんできないときに、神様は来てくれるんです。
 転んでけがをして痛い時がありますよね。でも、ぼくたちわたしたちは「がまん」します。布団の中で寝ていて、起きるのがいやだなって思うときがあります。でも「がまん」します。たいていのことを、ぼくたちわたしたちは「がまん」します。そして「がまん」しないといけません。でも、どうしてもがまんできないとき、神様は来てくれるんです。それって、嬉しいですよね。だから、クリスマスは嬉しいんです。クリスマスはイエス様(神様)のお誕生日ですから。ページェントではそのイエス様が来る時のこと、イエス様のお誕生日を劇にしようとするわけですよね。「がんばっても、どうしてもがまんできないときにイエス様(神様)が来てくれる」そんなことを思いながら、練習をやってみてくださいね。

ヨハネによる福音書 3章6節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

12月の「園だより」から

 今年も心がスッと寒くなるような痛ましいことが、日本でも世界でもたくさんありましたね。体が凍えるようなとっても寒い季節ですから、どこかに心の暖まるようなお話がないかなあ、そんなお話が聞きたいなあ、なんて思います…でもね、みんな、「どこかに」なんて言わないで。あったかいものはね、ホントはみんなの中にあるんですよ。クリスマスっていうのは、みんなのような子どもも、私(園長)のようなおとなも、みんなで、「あったかい心」のことを思ってみる季節なんですよ。別にむずかしいこと考えなくていいんです。みんなが嬉しい気持ちになったときのことを思ってみてください。それを誰かに分けてあげることができたら、その誰かも喜ぶかも。自分ももっと嬉しいかも…なんて思いませんか? ちょっぴり考えてみてください。それだけで、みんなはもう、あたたかい心になっているんですよ。

ヨハネによる福音書 3章6節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

子ども礼拝 2016年 11月2日

 新しい月になりました。「実りの秋」なんて言います。
 きっと、お野菜やお魚なんかを、おうちの人と一緒にお買いものをすると思うんですけれど、そのときにちょっと注意してほしいと思うんです。スーパーに行くと、いろんなお野菜や果物が並んでいますよね。みんなは、どんな果物が好きですか?
 みんな、形も色も大きさも違いますよね。そして、例えばみかんという果物があったとしますよね。今度おうちの人とスーパーに行ったときに、例えば、お魚のパックを二つ、野菜を二つ、果物を二つ、じっとよく見て、比べてみてください。例えばみかんにしましょうか。二つのみかんを持ってきましょう。同じみかんでも、よぉーっく見ると、ちょっとずつ違います。色も、ちょっと緑色っぽいのもあるでしょう。またとっても黄色いのもあります。また大きいのもあるし、ちょっと小さいのもありますね。だから、みんな少しずつ違うんですよ。少し緑色っぽいみかんは、ちょっと酸っぱいかもしれませんね。酸っぱいみかんが好きな人もいます。オレンジ色のみかんはきっと甘いでしょうね。甘いのが好きな人もいます。そういえば、ぼくたちわたしたちも、みんな違いますよね。顔が違ったり、背の高さが違ったり、そういうふうに違いがあります。自然にできたものは、みんな少しずつ違うんです。人や、動物や、魚や、野菜や、果物や、お花なんかがみんなそうです。ぼくたちわたしたちが作っているエルマーみたいなのが、いるかもしれません。カラスは黒い鳥さんだけど、ときには白いのもいるんです。フナというおさかなは、茶色っぽいんだけれど、真っ赤なフナがいました。その赤いのがどんどん増えて、金魚になったんですね。そんなふうに、見た感じがほかと違う動物や植物が、ときどきあります。でも中身はおんなじです。
 違っていることがいいこともあります。酸っぱいみかんと甘いみかん、よく味わってみると、どっちもおいしいんです。だから、「違っている」って、悪いことじゃないんです。エルマーを作りながら「違っているって素敵かもしれない」って、ちょっと考えてみてくださいね。

詩編 33編5節
地は主の慈しみに満ちている。

子ども礼拝 2016年 10月21日

 ばら組さんは、一昨日筑波山登山をやりましたね。一所懸命お山に登るのは大変だったけれど、てっぺんに着いて、気分はどうでしたか?
 これからだんだん寒い冬になっていきます。本当の冬が来る前に、ぼくたちわたしたちは「作品展」をやりますよね。もうみんなはその準備をしていますか? お部屋の中でいろんなものを作ると思うんですけれど、どんなものを作りますか?
 さて、それぞれのお部屋で作品展の準備をするときに、こないだの運動会のこともちょっと思い出してください。「えっ、もう終わっちゃったのになんで?」って思うかもしれません。でも、運動会と作品展はよく似ています。まず「みんなで力を合わせる」っていうところがよく似ていますよね。それから、もうひとつ。それはね、「みんな一人ひとりが、がんばるっていうことです。いくら力を合わせるといっても、みんな一人ひとりががんばらなきゃ、力を合わせることはできません。その一人ひとりががんばるっていうことだけど、「がんばる」っていうことは、「やだなー」って思うことを無理にやることではないと思います。「やだなー」と思いながらやるんじゃなくて、みんな一人ひとりが「いいなあ」「楽しいなぁ」と思えるような、そういう気持ちで何かできるようになってほしいと思うんです。そして、自分だけが「楽しい」んじゃなくて、みんなが一緒に、「楽しい」って思えるにはどうしたらいいんでしょう? そういうことを、おともだちとか先生とかと、お話ししてみてください。先週私(園長)は「心を込めて」と言いました。みんなが楽しいって思えることには「心を込める」ことができるはずです。それに「心を込めて」やってみると、ちょっとぐらい「難しいな」って思うときでも、楽しくできるんです。  一人ひとりが「楽しく」、みんなで「楽しく」作品展の準備をしてみてください。「心を込めて」作ったものは、とっても立派だと私(園長)は思います。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

子ども礼拝 2016年 10月14日

 運動会も終わりましたね。みんなとってもがんばったと思います。勝っても負けても、一生懸命やったから、みんな気持ちよかったでしょう。運動会では、もちろんみんなはたくさん体を使いましたね。みんなは元気に体を動かして、おゆうぎだとか、かけっこなどをやったのですよね。でも、みんながそんなふうに力いっぱい身体を動かすことができるのも、「強い心」があるからです、っていうお話を、運動会の前にしてきましたよね。そして、運動会が終わってから、なんだか急に涼しくなってきましたね。こうして暑かったり、涼しかったりっていうのを繰り返しながら、少しずつ秋から冬になっていきますよ。
 さて、ここから先にも幼稚園ではいろんなことがあります。来週には、ばら組さんは筑波山に登ります。これもまた身体を動かすから、ちょっと運動会に似ているかもしれません。でも競争ではありませんから、運動会とはちょっと違うかもしれません。その他には作品展だとか、お部屋の中でいろんなものを作ったりするものがありますよね。それに、クリスマス・ページェントも、やっぱりこのホールでやっているものです。お部屋の中ですることも、運動会と同じく、ぼくたちわたしたちが、心を込めてやらないと、最後まで続けることができません。運動会で、みんなは負けそうになっていても、最後までがんばったでしょう。お部屋の中でもそれは同じです。お絵かきをしたり、粘土で何かを作ったりする時も、運動会と同じくやっぱり「心」がないと最後までやりきることができないんです。運動会みたいに「あきらめない心」も、もちろん大切です。それに、いろいろ工夫してみる「心」も大切ですね。「工夫」っていうのはね、どんなふうにやったらいいかな?って、いろいろ考えてみることです。身体はあんまり動かさないかもしれないけれど、その分、「心」はたくさん使います。お部屋で何かするとき、どんなことでも「心を込めて」やってみてほしいなって、私(園長)は思います。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

10月の「園だより」から

オリンピックで、せっかく金メダルを取ったのに、その後悪いことしちゃった人もいました。そうかと思うと、転んじゃった選手を助け起こしてあげた別の選手もいましたね。さて、かっこいいのはだれでしょう? 幼稚園でも運動会が近づいています。そこでも「勝ち負け」があり、「競走」があります。これから大きくなるにつれ「競走」や「競争」をいろんなところでします。でもそのことは、思いやりがなくてもよい、ということではありません。競争相手に勝つことよりも、自分に負けない心を持っている人は「思いやり」があり、「本当のチームワーク」を作ることができるでしょう。運動能力ばかりでなく、「こころ」を高める運動会を目指しています。

マタイによる福音書 5章16節
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

9月の「園だより」から

夏休みを楽しく過ごせましたか? どんなことをしましたか? どんな人に会いましたか? みんなが夏休みに、いっぱいやったこと、出会って過ごしたたくさんの人たち… 夏休みが終わった今、一つひとつ思い出して、いつまでも憶えていて、大切にしてくださいね。大切にすると、みんなの「心」が大きくなってきますよ。みんなは大きくなるとき、身体だけじゃなく、「心」も大きくなるんです。「心」が大きい人は、自分で考えたり、自分でやってみたりする人です。そして、そういう人は、強くなれるし、優しくなれるんです。2学期が始まりますね。幼稚園でもまた、お友だちと一緒に、いろいろやってみましょうね。


子ども礼拝 2016年 9月9日

 みんなは「心」という言葉を知ってるでしょうか? 「心が優しい」とか「心が強い」とか、言うでしょう。「心」って、何でしょう? それはね、ぼくたちわたしたちの中にある「気持ち」みたいなものです。「気持ち」ってね、体のどこにあるかよく分からないんですよ。でもね、「気持ち」って、とってもすごいんです。たとえば、大きくて、力の強いお友だちがいたとします。もう一人、こっちには小さくて、力の弱いお友だちがいたとします。この二人が、何か競争みたいなことをするとしましょう。どっちが勝ちますか? 普通は、大きくて力の強いお友だちが勝っちゃうんです。力が強いってことは、足の力も強いんです。だから速く走れるでしょう。力の強いお友だちは、腕の力も強いんです。だから重たいものを持ち上げることもできるでしょう。でもね、いつもそうとは限らないんです。ときには小さくて、力の弱いお友だちの方が、勝っちゃうこともあるんです。どうしてでしょう? それは、そのお友だちが「よーし、がんばってやってみるぞ」っていう「気持ち」を持っていたからです。その「気持ち」のことを「心」っていうんです。「心」がないと、体は動きません。どんなに力が強くても「その力を出そう」っていう気持ち、「心」がないとだめなんですね。私(園長)は、みんなに、その「心」っていうものを大事にして欲しいと思います。「心」っていうのは、だれでももっています。でも、それを、大切にできる人と、大切にできない人がいます。心を大切にできる人が、本当の「強い人」「すてきな人」だと、私は思います。じゃあ、「心を大切にする」って、どういうことでしょう? そのおはなしをこの次にしますね。今日は「心」って「気持ち」のこと、それがとっても大事だっていうことを、覚えてくださいね。

旧約聖書 サムエル記上 16章7節
 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

子ども礼拝 2016年 7月15日

 先週は「互いに」というお話をしました。私(園長)からも「握手」、みんなのほうからも「握手」。どっちかだけではなく、どっちも、というのが「互いに」っていうことでしたね。
 さて、みんなにお友だちがいたとします。そのお友だちを助けてあげようとします。どんなときに助けてあげたらいいのでしょう? お友だちに何でもしてあげたらいいのでしょうか? みんなは、お友だちから、どんなことをしてもらいたいですか? アイスクリームが好きなお友だちはいますか? 私はアイスが大好きです。誰かがみんなにアイスをくれたとしますよ。それはきっと、とっても嬉しいことですね。だけど、こんなことを考えてください。みんなが虫歯だったとします。とぉーっても歯が痛かったとします。そういうところにだれかお友だちが、アイスをくれたら、うれしいですか? アイス食べたい気持ちはあるかもしれませんけれど、食べられませんよね。普段だったらアイスが美味しいかもしれないですけれど、虫歯の時にアイスをもらって、それを食べて、もっと虫歯がひどくなったら、いやですよね。こんなふうに、ぼくたちわたしたちは、そのお友だちのために、「一番いいことはどんなことかな?」って、考えないといけないんですね。お友だちのことを考えて、一番いいと思うことをしてあげて欲しいんです。それも「互いに」ですよ。自分だけがやるんじゃなくて、相手のお友だちにもやってもらいましょう。みんなが歯が痛かったら、私はこう言います。「今日、とってもいやかもしれないけど、歯医者さんに行ってください。今日行かないと明日もあさっても歯が痛いんですよ。でも今日行けば、歯が痛いのは、今日で終わりになりますよ」って。
 お友だちのことを考えてあげられる人になってください。そして、お友だちも、ぼくたちわたしたちのために、きっと何かしてくれてるって思いながら、もっともっと仲良しになってくださいね。

新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

子ども礼拝 2016年 7月1日

 今日から7月ですね。とっても暑くなってきますよ。それに夏休みが近づいてきますね。夏休みにはみんなどんなことをするのでしょう? きっといろんな人たちに会うと思います。普段のぼくたちわたしたちは、おうちの人たち、それから幼稚園のおともだちや先生たちと一緒にいますよね。でも夏休みになると、いろんな人に会います。ひょっとしたら新しいおともだちができるかもしれませんよ。この幼稚園のおともだちもそうだけれど、みんなはおともだちに何かしてもらったとしたら、どんなときが一番嬉しかったでしょうか? その嬉しかったときのことを、よく覚えていてください。そして、今度は、みんなの方から、同じようにしてあげて欲しいと思います。何かお手紙をもらって嬉しかったら、今度はお手紙をあげてください。助けてもらって嬉しかったら、こんどは助けてあげてください。でも、何にもしてもらわないときでも、みんなはおともだちに、先週お話したように、おともだちが喜ぶようなことをしてあげてください。自分の方からしてみてください。それが、おともだちを大切にするっていうことです。おともだちだけじゃありません。動物とか、お花なんかもそうですよ。動物やお花はなにも言いませんね。でも、お水が欲しいな、とか、ごはんが欲しいな、とか、おうちをきれいにして欲しいな、とかって、思っているかもしれません。そういうときに、みんなが気がついて助けてあげたら、きっと喜ぶと思います。おともだちの中にも、あまりおしゃべりしないおともだちもいるかもしれませんね。でも、そのおともだちが心の中で、どんなふうに思っているかな、何をしてほしいのかな? って考えてみてください。そして、ぼくだちわたしたちができることを、してみてください。きっとそのおともだちと仲良くすることができるでしょう。そして、みんなはもっともっと沢山のおともだちを作ることができるようになると思います。これから沢山のおともだちを作ってくださいね。

新約聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

7月の「園だより」から

 だんだん暑くなってきました。熱中症や水の事故にじゅうぶん気をつけながら遊びます。それにしても「思いっきり」っていう言葉がピッタリなのがこの季節です。なぜでしょう? それはきっと、この夏のおひさまとか、鳥とか動物、さかな、それに花や木々がいっしょうけんめい生きていく姿と、ぼくたちわたしたちの「なにかしたい!」という「ちから」っていうか、「えねるぎー」っていうか、そんなのが、よく似ているからじゃないかなって思います。だから、もうすぐ夏休みですけれど、なにか「思いっきり」やってみてください。みんなはなにをやってみたいですか? なんでもいいですよ。先生たちも、園長も、おもいっきりやってみたいことがいっぱいありますよ。夏休みになる前に、お話してみてくださいね。


子ども礼拝 2016年 6月24日

 今月は「毎日『いいこと』を続けられるようになってください」というお話をしています。もちろん今月だけじゃないですよ。「これからずっと」ということですよね。いつも、いいことを、毎日続けるのは「えーっ、たいへんかな」って、みんな思うかもしれません。でもね、ちっちゃいことでいいんです。ちっちゃくても、ほかの人が喜んでくれるかもしれないですよね。それはとってもすてきなことです。みんなは小さいことと思うかもしれないけれど、その相手の人にとってはおっきいことかもしれませんよ。だから、「ちっちゃなことだからやらなくていいや」なんて思ってはいけません。ちっちゃなことでもいっぱい集まると、どうなりますか? おっきくなるでしょう? そういうことをどんどんやってみてください。
 さて、「いいこと」の中には「じぶんにいいこと」と「他の人にいいこと」がありますよ。その二つがくっついたのが、ほんとうの「いいこと」です。嬉しいことや楽しいことが「いいこと」とは限りません。たとえば、歯がとっても痛いのに、お菓子ばっかり食べてたらどうなりますか? 自分のためにはならないでしょう? きっとみんなは歯医者さんに行くでしょう。お菓子もしばらくがまんします。うれしくないと思うけど、大事なことです。また、お友だちが、なかよしランドでとっても危ない遊び方をしているのを見たら、みんなはどうしますか? 「あぶないよ」って言ってあげますよね。きっとお友だちはガッカリするかもしれません。でもケガをしなくてすむかもしれません。そういうことはとっても小さいことです。でも、とっても大事なことです。そういうことを少しずつ続けてみてください。どんなことが「いいこと」なのか、自分で考えてみてください。そして大人になるまで、大人になっても続けてみてください。みんなが大人になったその時に、きっとみんなは、自分のことと、お友だちのことを大切にできる人になっていると思います。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章13節
 たゆまず善いことをしなさい。

子ども礼拝 2016年 6月10日

 先週は「毎日『いいこと』を続けられるようになってください」というお話をしました。さて、「いいこと」ってどんなことか、みんな考えてみましたか? 今日は「花の日」っていいます。お花が元気に咲くように、みんなも元気に育ってほしいなって思うんですよ。
 きょうはみんな、たくさんのお花を持ってきてくれました。この幼稚園でもお花を植えていますね。お花はとってもきれいです。見ると、「わぁー、すてきだな、きれいだな」って思っちゃいますね。みんなはどんなお花が好きでしょうか? いろいろあると思います。でも、みんなそれぞれきれいですよね。どうしてでしょう? それはね、お花が一生懸命咲いているからです。お花は、ぼくたちわたしたちよりずっと小さいし、それに弱いですよね。でも、一生懸命に咲いています。ちょっとやそっとの雨だとか、風とかが吹いてもへっちゃらです。もちろん最後には枯れていきますけれど、がんばっていますよね。がんばっているっていうのはね、とってもきれいなんですよ。それと、いろんなお花がありますよね。色もそれぞれ違うし、大きさも、形も違います。でもね、おっきいお花もきれいだけど、小っちゃいお花もきれいでしょ。そして赤いお花もきれいかもしれないけど、白いお花もきっときれいです。そんなふうに、どのお花も、それぞれすてきなところがありますよね。風にも雨にもまけないで、一生懸命がんばる。そして小っちゃくても、おっきくても、赤くても、白くても、黄色くても、みんなそれぞれの良さを持っている。ぼくたちわたしたちもそうですよね。お花を見て、ぼくたちわたしたちも、いろんなことに簡単に負けたりしないで、そしてみんな少しずつ違うけれどもそれぞれにすてきなところがあったらいいなって思います。

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章13節
 たゆまず善いことをしなさい。

6月の「園だより」から

 6月です。私(園長)が生まれて初めてカタツムリを見たのも、小学校に上がる前の6月だったと思います。ずーっと探していたのですが、雨上がりのある日、公園のアジサイの葉っぱのうしろに4匹くっついていたんです。びっくりして、うれしくって、思わず「いたっ!」って大声で叫んでしまいました。それを聞いた公園中の人たちが何事かと驚いて駆け寄ってきたのを覚えています。最初はみんな「な~んだ、でんでんむしか」とか言っていたのですが、そのうち、タライに入れて飼ったらいいとか、えさはキャベツがいいとか、いろいろ教えてくれました。持って帰って、大事に育てました。小さいこどもの驚きも、喜びも、そこいらじゅうにあると思います、それを大切にできるおとなであり続けたいなと思います。


5月の「園だより」から

 5月になって、いよいよ暖かくなってきました。でも、おっきな地震がありましたね。「地震」って、この地面がグラグラゆれて、ときにはおうちなんかも倒れちゃうんです。誰かが悪いことをしたから地震になるのでしょうか? いいえ、誰も悪くないんです。地球さんが、風邪をひいちゃったのかな? それでブルブルふるえているのかも。でもその地震で、おうちを失くしたり、おうちの人やお友達が死んでしまったり、悲しくて苦しい思いをしている人たちがたくさんいます。ぼくたちわたしたちは、みんな地球さんの上にいる仲間です。仲間の中に、苦しんでいる人、悲しんでいる人たちがいることを、忘れないでいましょうね。


4月の「園だより」から

 4月になりました。また新しい年度がはじまりますね。「新しい」っていうと、何だか「ドキドキ」しちゃいます。でもだいじょうぶ。だって他のお友だちも、みんなドキドキしているんですから。どうしてドキドキするのでしょう? それはね、今までやったことのないことを、初めてやろうとするからです。新しいことをするって、そういうことです。だから、みんなちょっぴり心配してしまうし、それにちょっぴり「怖い」って思っちゃうのも、仕方ありませんよね。そうすると、ドキドキしちゃうのは、ぼくたちわたしたちばかりじゃありません。大人の人たちだって、やっぱり同じようになっちゃうんです。その「ドキドキ」を味方にしちゃいましょう。「心配だな」「怖いな」っていう気持ちがあると、ドキドキしちゃうので、それをやめて「きっと楽しい」って思ってみるのはどうですか? そうすると、きっと、「ドキドキ」が「ワクワク」にかわりますよ。「ワクワク」がいっぱいの幼稚園で、楽しくすごしましょうね。


3月の「園だより」から

 今年度も最後の月になりました。ばら組のみなさんは卒園が近づいて、いよいよ幼稚園とお別れのときですね。すみれ組さん、たんぽぽ組さんも、今までのお部屋とお別れです。みんなのこの一年は、楽しかったかな? 幼稚園は、たのしかったかな? ほかのお友だちと一緒に、楽しく過ごせましたか? みんなは、また、ちょっぴり大きくなります。大きくなるっていうことは、いままで見たり、聞いたり、やってみたことを、ぜーんぶ自分の力にできるってことです。みんなはお友だちと一緒に楽しく過ごすことができたのですから、これからも、またどこへ行っても、そうしてくださいね。幼稚園にも、小学校にも、新しいお友だちとの出会いが待っていますよ。


子ども礼拝 2016年 2月26日

 先週は「助け合う」というお話をしました。みんなの持っている力を自分のためだけではなく、お友だちなど、ほかの人たちのためにも使いましょう。そういうことをすると、お友だちも、持っている力をみんなのために使ってくれるかもしれません。「助け合う」って、そういうことですね。そうすると、お友だちともっと仲良しになれると思います。
 さて、みんなの力というけれど、みんなにも、もちろんできることとできないことがあります。ぼくたちわたしたちは、いつもいろんなことを一所懸命にやってみたいんです。でも、どんなにがんばっても、できないときがあるかもしれません。ちょっぴり大変でも諦めちゃだめですよ。諦めると、あとでいやな気持ちになります。「もうちょっとがんばってみればよかったな」ってね。お外にいるときも、自分の力をいっぱい使ってください。でもね、なかには、自分の力をいっぱい使えないお友だちもいるんだ。たとえば、みんなよりちっちゃいお友だち。病気のお友だち。こういうお友だちは、がんばりたくてもがんばれないことがあります。みんなは、そういうお友だちの気持ちも分ってあげたいですね。
 みんなが誰かを助けるとします。そのときは、みんなが一所懸命がんばってみても、どうしてもできなかったときのことを思い出してみてください。そういうとき、お友だちが、みんなの気持ちをわかって、そして助けてくれたら、きっと嬉しいでしょう。みんなも同じように、他のお友だちにそうして欲しいんです。
 なんでもがんばれる、自分の力を出しきれる人っていうのは、自分のことばかりに一所懸命になっている人ではありません。相手の気持ちを分かってあげられる人のことです。みんなには、そういう人になって欲しいって思います。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章6節
 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。

子ども礼拝 2016年 2月5日

 2月になりました。もうすぐ発表会がありますね。さて、みんな発表会では何をするのでしょうか? 歌を歌うおともだちもいるし、音の出る「楽器」を鳴らすお友だちもいますよね(楽器を鳴らすことを「演奏する」っていいますよ)。私(園長)も楽しみにしているし、みんなのお母さんやお父さんも、きっと楽しみにしているでしょう。
 さて、お歌を歌うお友だちみんなの声は、それぞれ少しずつ違います。もしもみんなの声が同じだったら、どうなりますか? きっとつまらないと思います。大きいお友だち、小さいお友だち、いろんなお友だちがいます。顔も違いますけれど、声も違いますよね。そして、楽器。これも、いろんな楽器がありますよね。みんな楽器の名前は教えてもらいましたか? どんな音がするでしょう? みんなそれぞれ違った音がしますよね。みんな同じ音だったら、・・・やっぱりつまんないですよね。みんなの声とか、楽器とか、それぞれ違うから楽しいんです。そして、みんなが違うっていうのは、とっても素敵なことですね。それはね、みんなにしかできないことがあるってことなんですよ。私(園長)は、私の声しか出せません。みんなもそうです。ほかの人にはできないこと、みんなにしかできないこと、それを大切にして欲しいんです。大きい声をだせるお友だちもいるでしょう。あまり大きくないけれど、その代わりきれいな声を出せるお友だちもいると思います。楽器もそうです。みんなはそれぞれ、ほかの人とはちょっと違うかもしれないけれど、とっても素敵なことができるんです。みんな一人ひとりが、そうなんですよ。それは、ぼくたちわたしたち一人ひとりじゃないとできないことなんです。私(園長)にできないことが、みんなにはできたりするんですよ。だからちょっとがんばってみてください。みんなが本当に「よーし、できるぞ」って思って、やってみたら、今度の発表会、とっても素敵になりますよ。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章6節
 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。

2月の「園だより」から

 一年でいちばん寒い季節になってきました。だれかがいじわるして、大雪を降らせたり、冷たい風をふかせたりしてるのかな? 私(園長)は寒いのが苦手です。でも寒いくらいのほうが、「春を待ってる」って感じがします。みんなはどんなときに「待つ」のでしょう? おともだちがくるのを「待つ」とか、プレゼントをもらえるのを「待つ」とか…。ぼくたちわたしたちが何かを「待ってる」のは、きっと今よりうれしいことがあるからなんです。ぼくたちわたしたちが生きていくその先に、「きっとうれしいことがある」って思いながら歩いていけたら、とってもすてきですね。だから、とっても寒いこの時期は、ひょっとしたら、ぼくたちわたしたちに、「もっとうれしいことがあるよ」って教えてくれているのかもしれませんよ。元気に冬の日々をすごしてくださいね。


子ども礼拝 2016年 1月29日

 1月ももう少しで終わります。新しい年が来て、もう最初の1か月が終わっちゃうんです。とっても寒い日もあったし、暖かい日もありましたよね。とっても寒い時期なのにあったかいなあって思うときがあります。そして、「1月だからやっぱり寒いや」と思う日もありました。私(園長)が、みんなくらいの頃に比べると、今は冬がちょっとだけ暖かいみたいだって、言われているんですよ。でもぼくたちわたしたちは、みんな元気に過ごすことができましたね。お天気が寒くても暖かくても、ぼくたちわたしたちは、いつも同じように過ごします。だけど、外のお天気はそんなふうに寒かったり、暖かかったりすることがあると思いますけれど、みんなの心の中はどうでしょう? みんなの体が暖かいとか、寒いとか感じるのと同じで、みんなの心の中も暖かかったり、寒かったりすることがあります。みんなが嬉しかったり、楽しかったり、お友だちと仲良くできたりするときって、心が暖かいでしょう。反対に、悲しかったり、さびしかったり、お友だちとけんかなどをして、あんまり気持ちが良くなかった時などは、ぼくたちわたしたちの心は、寒いでしょう。
 そんなふうに心が寒い時、たとえばホントに悲しいときなどは、泣いてもいいと私(園長)は思います。ホントに悔しいことがあったときには怒ってもいいんです。悲しいこととか、悔しいことに負けずに大きくなって欲しいと思います。心が寒い時にも、負けないでほしい。でもね、「負けない」っていうけど、私(園長)は「ケンカをして勝てるようになりなさい」なんて言っているのではありません。そうではなくて、「負けない」っていうのは、いやなことがあっても、「ガマンできる」力のことです。「ガマンできないこともあるけれど、ガマンできることはしてみる」そういう力です。みんなは、冬の寒さをガマンできる力があるのだから、心の中の寒さもガマンできるようになってみてくださいね。

旧約聖書 詩編136編26節
 天にいます神に感謝せよ。

子ども礼拝 2016年 1月15日

 新しい年になって、1月も真ん中に来ましたね。先生からも聞いたと思いますけれど、この3学期というのはとても短いんです。ばら組さんがばら組さんでいられるのも、もうあとわずかです。ばら組さんは、あと2カ月で卒園ですよね。すみれ組さん、たんぽぽ組さんは、この幼稚園にこれからも来るけれど、今のお部屋にいるのはあと少しです。
 さて、3学期は短いばかりではありません。とっても寒いんです。冬っていいますよね。冬はとっても寒いんです。3学期が短いと、楽しいことも少なくなってしまうような気がします。その上、毎日寒い日が続くんですよね。
 さて、冬は寒いけれど、寒いから冬はキライだというお友だちはいますか? 私(園長)も、ホントのことをいうと、寒い冬は、ちょっと苦手です。あったかいほうが好きです。でもね、「寒いけれど、よーく探してみると、楽しいこともいっぱいあるんじゃないかな?」って思います。
 私(園長)は、ときどき、夜一人で買い物に行くことがあります。そのときの空を眺めたら、お星さまがとってもキレイでした(みんなは、お母さんやお父さんと一緒に見てくださいね)。夏には、あんなふうにはキレイには見えないと思います。だから寒くても楽しいことがいっぱいあります。幼稚園の中にも、どんな楽しいことがあるか、さがしてみてください。そして3学期が短いっていいましたけれど、「ちょっぴりだからつまんない」なんて思わないで、その短い3学期の中に、どれだけ楽しいことがいっぱいつまっているか、探してみてください。
 ばら組さん、すみれ組さん、たんぽぽ組さん、このみんなでいっしょにいられるのは、あともう少しだけです。楽しいことをいっぱい見つけて、そして短い3学期の中でおもいっきりいろんなことをやってみてください。最初にも言いましたけれど、1月ももう半分まで来ちゃいました。あとちょっぴりです。ちょっぴりだけれど、お友だちや先生と、おもいっきり楽しんでくださいね。

旧約聖書 詩編136編26節
 天にいます神に感謝せよ。

1月の「園だより」から

 新しい年がきましたね。どんな一年になるか、楽しみです。そう、楽しみにして欲しいんです。みんながこれから先、ずっと大きくなって、おばあちゃんやおじいちゃんくらいになったとき、幼稚園にいたときのことを思い出して「あのとき楽しかったね」って思えたら、私(園長)は、とってもうれしい。いま、みんながちっちゃな自分の頭でしっかり考えて、ちっちゃな自分の体でせいいっぱい何かをしてみると、それは後になって、とってもすてきな思い出になるんです。それだけじゃありません。みんなが生きていくときの「力」にもなるんです。ホントですよ。すてきな一年にしてくださいね。


子ども礼拝 2015年 12月11日

 今日は、クリスマス・ページェントの予行演習をしているところですね。先週も言いましたけれど、クリスマスを待っているというのが、この時期です。楽しい事があるかもしれないから待つんですよね。
 「待つ」っていうのは、何もしないことじゃありません。たとえば、この次の金曜日にはページェントの本番があります。みんなはその時まで待っていないといけませんよね。でも、それまで何もしないでいるということはないですよね。そう、今日のように一生懸命に練習して、本番のページェントで上手にできるように、がんばりますよね。
 また、ぼくたちわたしたちは、今日もこうやって、いろんな役割をしています。みんな、しゃべったり、歌ったりしますよね。そうしたら、しゃべったり、歌ったりするところがくるまで、みんなは待ってないといけないわけです。でも、みんなはきっと、心の中で「自分がしゃべること」とか「自分が歌うこと」とかを、思い浮かべているかもしれませんね。ちょっとドキドキしているかもしれません。でもね、それはみんながすてきなページェントにしようって、一生懸命に考えるから、それで、ドキドキするんです。みんなが、そういうふうに本番の前に、いろいろ考えたり、練習したり、そういうのを「準備」っていいますよね。
 今日はお友だちがおうちに遊びに来ます。さあ、何をして遊ぼうかな…そういうふうに考えるのも「準備」なんですね。ただ何もしないで待っているだけじゃなくて、ちょっとドキドキしながら待ってみましょう。
 今、みんなが一生懸命に練習しているクリスマス・ページェントはね、おかあさん、おとうさんへの、みんなからのクリスマス・プレゼントかもしれないんですよ。プレゼントあげるときも、ちょっとドキドキするでしょ? 「喜んでくれるかな?」って。みんなが喜んでくれることをお願いしながら、今日の練習をしてみてくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節
 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

子ども礼拝 2015年 12月4日

 12月になりましたね。もうすぐクリスマスです。みんなページェントの練習を毎日一生懸命やっていますね。いまはちょうどクリスマスを楽しみに待っている時です。クリスマスを待っている時のことを「アドヴェント」っていいますね。みんな「待ってる」っていうのは楽しいよね。サンタクロースが何かプレゼントを持ってきてくれるのを「待ってる」それって、ワクワクしますよね。
 さて、ぼくたちわたしたちが、こうして何かを待っているのは、その先に、何か楽しい事とか、嬉しい事があるからですよね。誰も、「明日○△君とケンカをしよう」とか、そんなことを楽しみに待っているおともだちはいません。そりゃ時にはガマンできなくなって、ケンカをしてしまうことはしかたがないけれど、わざわざそれを楽しみに待っているなんてことはないですよね。ぼくたちわたしたちが悪い事をしてしまって、先生やママやパパに叱られるなんてことも、あるかもしれません。でも、「あした幼稚園に行ったら先生に叱られよう。」なんて思ったりしないでしょう。
 ぼくたちわたしたちにはクリスマスが近づいています。サンタさんがくれるクリスマスプレゼントだけじゃありません。いろんな事が、みんなの目の前に近づいてきます。新しい年はどんな事が来るだろう? たんぽぽさんがすみれさんになったら…すみれさんがばらさんになったら…ばらさんが小学生になったら…どんな楽しい事、どんなうれしい事があるだろうって、考えてみてください。そしてそれをワクワクしながら待ってみてほしいなって、私(園長)は思います。でもね、楽しい事や嬉しい事は、自分だけのものではありません。おともだちも、お家の人も、まわりの人も、みんな楽しくて嬉しい、それが、本当の楽しい事、うれしい事です。そういう本当の楽しい事・嬉しい事が来るって思いながら、一年の最後の時期をすごしてくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 2章11節
 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

12月の「園だより」から

 12月。今年ももう少しで終わりです。幼稚園のおともだちはクリスマス・ページェントの準備で大忙しですね。でもね、みんな、どうしてクリスマスの何週間も前から「準備」をするのでしょう? 上手にできたほうがいいから…それもあります。でもね、ホントは、みんなに「あったかい気持ち」を心の中にズーッとためて欲しいから、そのための準備なんですよ。みんなが「あったかい気持ち」でページェントをやると、観ている人たちも「あったかい気持ち」になれるんです。みんなが「あったかい気持ち」をまわりの人たちに分けてあげられるんですよ。私(園長)もあったかい気持ちになれると思うと、とっても楽しみです。


クリスマスページェント(聖誕劇)って?

 取手幼稚園ではクリスマスのお祝いを全園児で行います。聖誕劇とはイエス・キリストの誕生を劇にしたものです。イエス・キリストの誕生は不思議な夜の出来事として聖書の中で伝えられています。劇の始まりをたんぽぽ組の子どもたちが歌で導きます。登場人物を演じるのは、ばら組の子どもたち。そして劇中歌をすみれ組の子どもたちが歌って、世界ではじめてのほんとうのクリスマスを知り、みんなで劇が作り上げられていきます。神様は、この世で最も弱く貧しいとされている人々のための救い主としてイエスさまを誕生させて下さいました。聖誕劇をとおして、世界中の様々な状況にいる人たちの事を覚え、クリスマスはプレゼントをもらうだけの日ではなく、あげることの大切さを考えてこの時期を過ごしていきます。一人ひとりに無理や負担にならないように、なおかつ持っている力を出来るだけ引き出してあげたいという思いからページェントの台本や構成は毎年変えています。たいていの場合、物語には『主役』がいることになっていますが、聖誕劇の中でイエス・キリストの誕生を語る時、全ての登場人物がそれぞれに大切な役割を持っており、そのどれかを欠かすことはできません。『みんなが主役』です。今年のクリスマスもお家の方と一緒に迎えられるよう願いながら過ごしていきます。


子ども礼拝 2015年 11月13日

 この前は作品展がありましたね。みんなが作ったもののことを「作品」って言います。みんな色々なものを楽しく作ることができましたか? それを見たお母さんお父さんたちは、どんなふうだったでしょうね? 喜んで見てくれて、きっと、写真なんかも写していたかもしれませんね。お母さんお父さんたちは、どうしてみんなが作ったものを見るのが嬉しいのでしょう? それはね、みんなが「とっても大きくなってきたな」っていうのが、そのみんなが作った作品を見ると、よく分かるからなんです。「上手にできたね」、「がんばったんだね」って、お母さんお父さんたちは言ってくれることでしょう。みんなが一生懸命がんばった、その力がね、みんなが作ったもののなかにグッとこもっているんです。だからね、それを見ると、「いいなあ」って思っちゃうんですね。
 みんなは少しずつ大きくなって、やがて大人になって、今はできないことがいろいろできるようになります。それは僕たち私たち人間ばかりではありませんよ。ほかの動物もそうです。お野菜や果物もそうなんですよ。みんなはお野菜や果物を、好きですか? どんなお野菜や果物が好きでしょう? 嫌いなおともだちも、ちょっと食べてみてください。とっても美味しいはずですよ。それにね、栄養があります。どうしてでしょう? それはね、お野菜や果物の中にも、がんばって大きくなっていこうっていう「力(ちから)」がこもっているからです。
 ちょうど今ごろはね、いろんな野菜や果物がとってもおいしい季節です。みんなの中に、がんばる力があるのと同じように、お野菜や果物の中にも力があります。その力を、おいしく食べて、もっと元気になりましょう。でもその時に、僕たち私たちは、生きているお野菜や果物をいただくのだから、心の中で「ありがとう」を言うのを忘れないようにしましょうね。

旧約聖書 申命記 26章10節
 わたしは、主が与えられた地の実りの初物を今、ここに持って参りました。

11月の「園だより(副園長が執筆)」から

 11月は季節の移り変わりがからだ中で感じることのできる季節ですね。幼いこの時期にからだいっぱい季節を感じる経験は、大きな自然の中で生かされている恵みに感謝できる豊かな心を育みます。小さい頃は感じていた感覚をお子様と一緒に味わい思い出してみるのもいいですね。さわやかな秋の空、冷たい空気、木の葉が色づく様子、お米や野菜・果物の収穫・・・私たちにはたくさんの恵みがあたえられています。今月は自然の恵みに感謝し、同時に、自分ひとりで生きているのではなく、まわりのいろんな人に支えられている事を覚え、「収穫感謝礼拝」を行います。
 秋から冬に移り変わるこの時間を、子ども達と一緒に大切にしながら過ごしたいなあ、と思っています。


子ども礼拝 2015年 10月16日

 運動会が終わりました。ばら組さんは、来週には筑波山遠足がありますね。そして、もうすぐ作品展なんかもありますよね。
 さて、「隣人を愛しなさい」ということです。これは「周りの人たちを大切にしなさい」っていうことですよ。
 昨日は、交通安全教室で、道路をどんなふうに歩いたらいいのか、教えてもらいましたよね。あれも「周りの人をたいせつにする」ことですよね。車に乗る大人の人たちは、みんなにぶつかってけがをさせたりしないように、気をつけて運転します。みんなも信号が赤のときには、ちゃんと止まって、車を運転する人が安心して運転することが出来るようにします。
 作品展の準備をこれからすると思いますが、そこでもみんなが力を合わせて何かつくりますよね。そのときだって、じぶんのことだけを考えていては、いいものはできません。
 ときにはけんかをすることもあると思いますけれど、でも一緒に何かをするときに、お友だちの気持ちも考えてみましょう。お友だちはどんなことをしたいのかな? 自分はどんなことがしたいのかな? きっとお友だちの考えていることと、みんなの考えていることが、ちょっとだけ違うんだと思います。僕はこんなふうにしたいな、わたしはこんなふうにしたい・・・ううん、そうじゃなくて、こうやりたい・・・。みんなやりたいことが違うから、けんかになっちゃうかもしれません。そのとき、どんなふうにしたら、そのお友だちと力をあわせてできるかな?って考えてみてください。それが、「お友だちや周りの人を大切にする」ということです。お友だちや周りの人を大切にすることで、僕たちわたしたちは、とっても楽しく、仲良く過ごしていくことができます。お友だちと遊んだりするときも、そういうことを考えてみてくださいね。

新約聖書 マルコによる福音書 12章31節
 隣人を自分のように愛しなさい。

10月の「園だより」から

 10月ですから、ほんとうは、運動会や、秋の空、秋の食べ物なんかのお話をしたかったんです。でも私(園長)は、小さいみんなにも知ってほしい。みんなより苦しい思いをしている人たちがいることを。そしてそれは、遠い世界のことではなく、とっても近いところにも、そんな人たちがいるんです。常総市じょうそうしは、ぼくたちわたしたちの住んでる町のすぐ近くなんです。そこでは、ある日、川の水があふれて、おうちの天井まで水でいっぱいになっちゃったんです。みんなとおんなじ幼稚園に通うお友達が、おもちゃも、お洋服も、なくしてしまったんです。幼稚園のバスも壊れて、幼稚園に来ることもできないんです。おうちの人たちと話してみてください。こんなとき、どうしたらいいのかなって。


9月の「園だより」から

 夏はスイカ、秋になると柿、…私(園長)が子どものころはそんな感じでした。でも、ここのところ、すっかり季節感が失われた感じだし、それに、季節そのものも、何だか急に暑くなったり涼しくなったり、そんな毎日ですよね。でもどんな暑い国にも、どんな寒い国にも、きっと「季節」があるはず。それを感じ取りながら、人は日々を過ごしていこうとしているんです。人の「成長」には、習い事や勉強だけではなく、まわりの少しずつの「移ろい」もまた大きく関わっているのでしょう。2学期が始まります。季節の変化を感じ取りながら過ごしていきたいと思います。


子ども礼拝 2015年 7月3日

 みんなはいつも、お友だちと仲良くしていますか? この幼稚園の中では、みんなが仲良くするっていうことが、とっても大事です。もちろん、時々はけんかをすることもあるかもしれませんね。お友だちがやりたいことを、ぼくたちわたしたちはやりたくない、そんなことも、時にはあるかもしれません。こんなことをやりたい、やりたくない、そんなことを言っているうちに、けんかになってしまうかもしれませんね。これは、みんなのような小さい子だけではなく、おとなの人たちも、そんなことになってしまうことがあるんですよ。
 おとなもこどももそうです。簡単なことでけんかになっちゃうんです。けんかすると、気持ちがいいですか? お友だちのこと、たたいちゃった。それで、いい気持ちになりますか? なんとなく、「やらないほうがよかったんじゃないかな」なんて思ったりすることがあるでしょう。お友だちとけんかをしたことがありますか? けんかに勝ちましたか? 負けましたか? 勝ったとき、負けたとき、そのとき、どんな気持ちでしたか? 勝っても負けても、「やだな~」っていう気持ちになったんじゃないでしょうか?
 どうかお友だちとか、周りの人たちを大切にしてください。みんなは、ひとりで生きているわけではないんですよ。たくさんの人たちと、いっしょに生きていますよね。時には、ちょっとぐらいけんかしてもいいです。でもね、その時、けんかしているそのお友だちは、どんなことを考えてるんだろう? 何をしたいのかな? そんなことも考えて欲しいんです。ぼくたちわたしたちは「こんなことをしたい」って、自分でわかっていますよね。お友だちはどうしたいのかな? そんなこともちょっとだけ考えて、お友だちと仲良くするにはどうしたらいいか、考えて、そして本当に仲良く一緒にいられるといいですね。

新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章14節
 愛は、すべてを完成させるきずなです。

7月の「園だより」から

 いよいよ夏になりますね。「なつまつり」があって、そして夏休みが来ます。私(園長)は夏休みになにをしようかな? やりたいこと、いきたいところ、きっとみんなにもたくさんあると思います。夏休みにしかできないことって、どんなことでしょう? 夏休みにしか行けない場所って、どんなところでしょう? みんなにはこれから、何十回も夏休みがきますよ。幼稚園を終わっても、おとなになっても、夏休みは来ます。でも、今度の夏休みは今度だけです。たった一回の夏休みなんです。たった一回の夏休みを、いろんな人たちと、楽しく仲よくすごしてね。


子ども礼拝 2015年 6月12日

 今日は「花の日」ですね。たくさんのきれいなお花を、みんなありがとう。花の日っていうのは、みんながお花を、いつもお世話になっている人たちのところへ持っていって、喜んでもらう日ですよね。そのときみんなは何て言うんでしょうか? そう、「ありがとう」だよね。みんなは「ありがとう」って言えるでしょうか? その「ありがとう」は、いつでもそうなんだけれど、みんなの心の底から言っているんじゃないとだめなんだ。心をこめて「ありがとう」っていえるでしょうか?
 僕たち私たちは、いろんな人たちに助けてもらって生きています。そして僕たち私たちも、いつかどこかで、誰かを助けることになるかもしれません。僕たち私たちはいつもそんなふうに生きています。私(園長)が「みんな仲よくね」と言っているのは、助けあって生きていける人になって欲しいからです。
 僕たち私たちが、そうやって仲よくなるためには、いつも「心をこめて」ありがとう、とか、お願いします、とかを言わなければいけないんですよ(ごめんね、もそうだね)。
 僕たち私たちはいつも助けてもらってるんだね。それだけでなく、僕たち私たちが助けてあげないといけない時もあります。体などが弱っている人たち、僕たち私たちは優しくしてあげないといけませんよね。僕たち私たちを守ってくれている人たちに心をこめて「ありがとう」を言ってみてください。でも、心をこめて「ありがとう」を言えるお友だちは、大きくなって、きっと誰かから心を込めて「ありがとう」って、言ってもらえるような人になると思うんですよ。そういう人は、きっと自分より弱い人に優しくなれる心を持った人だと思います。心をこめて「ありがとう」って言える人になってほしい。そして、心をこめて「ありがとう」って言われる人になってほしいって、私(園長)は思います。

新約聖書 ルカによる福音書 6章31節
 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

子ども礼拝 2015年 6月5日

 6月になりましたね。雨がいつも降ったりして、ちょっと寒かったり、また、食べ物なども腐りやすかったりで、気をつけないといけない時期ですね。
 さて、「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」っていうのが、今月のお話ですよ。みんなは、どんなことを、まわりの人たちからしてもらいたいですか? いっしょに遊んでほしい。美味しいものを一緒に食べたい…きっといろいろありますね。お友だちからしてほしいこと、おかあさんや、おとうさんにしてもらいたいこと、この幼稚園で、先生たちにしてもらいたいこと、いっぱいあると思うんです。そういうことを、お友だちや、おかあさん、おとうさん、先生たちに、してあげることができるでしょうか? 僕たち私たちは、いつも、まわりの人たちといっしょに暮らしていますよね。そして、何かしてもらったら嬉しいって、思うときがあるじゃないですか。私(園長)は、そういうことを、みんなも、まわりの人たちにしてあげたらどうかなって、思うんです。それはちょっと難しいことです。どうしてかっていうと、「誰かが喜んでくれる」っていうのは、僕たち私たちが、「ちょっとがんばらないといけない」からです。まわりの人が喜んでくれるとき、僕たち私たちは、ちょっとだけがんばっています。おうちの人のお手伝いなどをするでしょう? ちょっと働くってわけですよね。そうすると、おかあさんやおとうさんはとっても喜んでくれますよね。
 みんなは大きくなったら何になりたいですか? いろいろあると思うけれど、そこでみんなは「誰かに喜んでもらう」っていうことをするんです。たくさんの人たちに喜んでもらえるような、すてきな人になってくださいね。

新約聖書 ルカによる福音書 6章31節
 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

6月の「園だより」から

 5月も、もう終わりですけれど、とっても暑かったですね。6月はどんなお天気でしょう? いつもだったら梅雨ですよね。ちょっと寒いし、それに毎日雨降りだと、こっちの気持ちも、ちょっと元気だすのがたいへんだったりしますよね。お天気だけは、ぼくたちわたしたちの思いどおりにはなりません。でもね、ぼくたちわたしたち人間は、その「思いどおりにならないこと」があったとしても、そこをがんばって生きてきました。こういうふうにがんばることを「工夫する」っていいます。雨降りはいやかもしれないけれど、みんなも「工夫」して、いろんな遊びを考えてみてください。そうやってみると、6月も「あめ降りだからイヤ」じゃなくて「あめ降りだから楽しい」ことになるかもしれませんよ。


子ども礼拝 2015年 5月29日

 5月ももうすぐ終わりですね。ぼくたち私たちがおともだちとか、周りの人たちを大切にするっていうこと、そしておともだちとか、周りの人たちもまたぼくたちわたしたちのことを大切にしてくれるっていうことを、お話してきました。
 「大切にする」って、どんなことでしょう? まずは、その人の気持ちをわかってあげるってことです。みんなは、おかあさんやおとうさんを大切にしていますか? どんなふうに大切にしているでしょう? おかあさんが、とっても疲れて、寝ていたとします。そんなときは、みんなはどうしますか? ちょっと考えてみてください。「大切にする」っていうのは、そのひとが悲しむようなことをしないっていうことです。おともだちや、先生や、おうちの人たちにきいてみてください。「どんなことをしたら悲しい?」って。
 そしてもうひとつあります。それはね、「仲間はずれにしない」っていうことだと思います。ぼくたち私たちは、いつも楽しく遊んでいますよね。きらいなおともだちはいませんか? そして、そのおともだちを仲間はずれにしていませんか? だれでも、仲間はずれにされたら、とっても悲しいじゃないですか。みんなは、仲間はずれにされたらどんな気持ちになりますか? きっとみんな、悲しいでしょう? それならみんなも、誰かを仲間はずれにしてはいけません。誰かが悲しむようなことはしない。誰かを仲間はずれにしない。それをみんなでやってみてほしいなって思います。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

5月の「園だより」から

 私(園長)は、5月が誕生月です。だから毎年5月がくると、今年はどんな5月かなって、ちょっと楽しみです。もちろん自分が生まれた年の5月がどんなだったかは知りません。赤ちゃんでしたからね。でも5月がくるたびに、お母さんが、どんな季節で、どんなお天気で、どんなふうに暖かかったり、寒かったりの中で自分を産んでくれたかなって、ちょっと思ってみるんです。51年前と今とでは、きっとずいぶん違っているでしょうね。でもあの頃も今も、新緑の季節ということに変わりはなさそうです。みんなが生まれたときと同じように、私(園長)が生まれたときもお母さんやお父さんは喜んでくれたに違いありません。そういう一日を、緑の中で、想像してみるんです。


子ども礼拝 2015年 5月22日(この日は副園長がおはなしをしました)

 昨日は遠足に行きました。楽しかったかな? なにがいましたか? 動物がたくさんいましたね。お花もたくさん咲いていたのに気がついたかな? みんなのクラスでもお花を育てているよね? お花って、小さな種から、太陽や雨の神さまからの恵みをいただいて、少しずつ大きくなって、花を開かせるんだよね。今日はお花のお話をしようと思います。

 あるお庭に、小さなお花が咲きました。小さな小さな白いお花です。長い間土の中にいて、やっときれいな花を咲かせました。けれども、そのお花はいつも、とても悲しい顔をしていました。ある時、地面を歩いていたアリさんが聞きました。「どうしていつも悲しい顔をしているの?」白い小さなお花は言いました。「どうしてわたしが悲しい顔をしているかですって? それはね、小さいから。」周りに咲いている花たちは、どれもみんな背が高く、赤や黄色のきれいな色をしています。そして、その周りには、蝶々やみつばちが遊びに来てその蜜を吸って喜んでいます。「小さい私の所へは誰もこないわ。だって小さくて誰も私に気がつかないもの。」小さなお花は、悲しい顔をもっと悲しくさせて言いました。
 ところがある日、小さなお花のところに、一匹の蝶々がヨロヨロとやってきました。そして小さなお花にとまると言いました。「少しここで休ませて下さい。羽にけがをしてしまって、高いところを飛べないのです。高いところを飛べないから、蜜を飲むことができなくて、とってもお腹がすいているのです。」それを聞いた小さなお花は言いました。「私の蜜をどうぞ。」けがをした蝶々は、喜んでお腹いっぱいになるまで、小さなお花の蜜を飲みました。そして「お腹いっぱい蜜を飲んでとても元気になりました。また高いところまで飛べそうです。ありがとう。」そう言って、またどこかへ飛んで行ってしまいました。それっきり、その蝶々が、小さなお花のところへ来ることはありませんでした。でも、いつも悲しい顔をしていた小さなお花のその顔は、うれしい顔に変わっていました。

 どうしてうれしかったのかな。それは小さな自分が、一匹の蝶々のために蜜をあげて、蝶々が喜んでくれたからだよね。神さまは、わたしたち一人ひとりのことをいつも見ていてくださり、大切にして下さっています。そしてみんなに、必ず『自分ではない誰かのために出来る事、誰かを助けたり喜ばせたりできる力』をくださいました。みんなにもその力があるんだよ。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

子ども礼拝 2015年 5月15日

 先週は「母の日礼拝」をやりましたね。お母さんがみんなのことをとっても好きでいてくれるので、みんなもお母さんを好きでいてあげて下さい。
 さて、みんなはお母さんの他にも好きな人がいるでしょう。たとえばこの幼稚園のおともだちなどもそうです。「おともだちをきらいだ」というのより、「おともだち大好き」のほうがいいに決まっています。「おともだちを好き」というのは、「おともだちを大切にする」ことです。それは、お母さんやお父さんがみんなを大切にしてくれるのとおなじです。みんなが泣きたいときに、お母さんやお父さんはみんなのことを放っておくでしょうか?きっとみんなのお話をきいてくれるでしょう。そして、どうして泣きたいのか、みんなはお母さんやお父さんは聞いてくれると思います。それだけではありません。みんなと同じ気持ちになってくれると思います。もちろん、お母さんやお父さんはおとなですから、そんなに簡単には泣きませんよ。でも、みんなが悲しい時には、お母さんやお父さんもやっぱり悲しい思いをしているでしょう。
 誰か人を大切にする、というのはそういうことです。その誰かと、同じような気持ちになってみてあげることです。誰かが悲しんでいるけど、自分は楽しいから関係ない、そういう人は、誰かのほんとうのおともだちになることはできません。
 みんなはおともだちを大好きになってください。それはおともだちの気持ちをわかるひとです。おともだちの気持ちをわかってあげられるひとになってください。そうしたらそのとき、相手のおともだちもきっとみんなのことをわかってくれるようになります。そのときみんなは「ほんとうのおともだち」になれると思います。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

子ども礼拝 2015年 5月1日

 お休みの真ん中ですね。みんな、おうちの人たちと、どんなふうに楽しく過ごすのでしょう? そして、幼稚園の新しい生活にも少しずつ慣れてきたところだと思います。さて、ぼくたちわたしたちは、「互いに愛し合いなさい」という言葉を覚えようとしています。これはね、「みんないっしょに、周りの人を大切にしましょう」ということです。ぼくたちわたしたちの周りには、どんな人たちがいるでしょう? まず、おうちには、お母さん、お父さんがいますよね。そして、お兄さん、お姉さん、妹、弟などの兄弟がいるところもあるかもしれませんね。おじいちゃんやおばあちゃんが、一緒におうちに住んでいるかもしれません。一緒に住んでいなくて、遠くで暮らしていることもあるかもしれませんね。そして、この幼稚園のなかではどうですか? お部屋のお友だちやお部屋の先生がいますね。それ以外にも、ほかのお部屋のお友だちやほかのお部屋の先生たちがいます。そのほかにもいろんな人たちが、ぼくたちわたしたちの周りにはいます。でもね、ぼくたちわたしたちには、そういうふうに周りの人たちの気持ちがなかなかわかりません。ぼくたちわたしたちは、それぞれ「自分の気持ち」っていうのがあります。嬉しいとか、悲しいとか、怒りたくなるときもありますよね。それと同じように、まわりの人たちにも、それぞれ「気持ち」があります。ぼくたちわたしたちは、「自分の気持ち」は自分でわかりますよね。だけど、周りの人たちの「気持ち」は、なかなかわかりません。お友だちは「どんなふうにかんがえているんだろう」って思っちゃいますよね。でも、そこでちょっとがんばってみてほしいんです。周りの人たちがどんなふうに思っているのか、周りの人たちの「気持ち」がわかるようになったらとってもいいなと思うんです。ぼくたちわたしたちが、それをできるようになると、今度は、周りの人たちも、みんなの気持ち、ぼくたちわたしたちの気持ちをわかってくれるようになります。そうすると今までより、もっと「仲良し」になれると思います。周りの人たちと、もっと「仲良し」になってください。

新約聖書 ヨハネによる福音書 13章34節
 互いに愛し合いなさい。

2015年4月の「園だより」から

 新しい年度が始まりましたね。さて、みんな「新しい」って、どんなことでしょう? それはね、いろんなことが「変わっていく」ということなんですよ。この幼稚園も、お友だちが卒園し、またほかのお友だちが来ますよね。そして、みんなも、お部屋と先生がかわりましたよね。いろんなことが「新しく」なると、ぼくたちわたしたちは、ちょっと慌てちゃうかもしれません。だから、新しい生活を始めようとするときは、ちょっぴり「勇気」を出さないといけないかもしれません。でも、きっとだいじょうぶ。みんなには、先生や、おうちの人や、お友だちや、たくさんの人たちがついていますからね。


子ども礼拝 2015年 4月24日

 新しい年度が始まりましたね。新しいお部屋はどんな感じでしょう? 新しい先生たちとは、なかよしになれましたか? みんなはいま、そういう新しい場所で、新しい先生やおともだちと、きっといろんなことをやってみたいでしょう。どうかなんでもやってみたいことをやってほしいなって、私(園長)は思います。でもそんなときに、ひとつ、大切にしてほしいことがあります。それはね、「どんなことをしたら、みんながよろこんでくれるかな」って考えてみてほしいんです。「みんな」っていうのは、おうちのひと、おともだち、それから、みんながあんまりよく知らない人たちもそうなんですよ。そういう人たちみんなが「いいなあ」って、思ってくれるようなことを、なんでもやってみてください。どうしてかっていうと、みんなは、ほかのおともだちから何かしてもらって、「うれしい!」って思うときがあるでしょう。そういうときは、とってもきもちがいいよね。そのとき、そのおともだちとはもっと仲良くなれそうな気がするじゃないですか! そういうおともだちは、とってもすてきなおともだちだと思えるんです。ぼくたちわたしたちも、そういうすてきな人になってみたらどうかなって、思うんです。ぼくたちわたしたちが、何かをしゃべったり、何かをやってみようとするとき、「あいてのひとや、おともだちがよろこぶかな?」って、ちょっと考えてみてください。そしてぼくたちわたしたちが、ときどき「いじわる」をしたくなったり、「わがまま」を言ってみたくなったりしたときも、ちょっと考えてみてください。「それでみんながよろこぶかな? かなしいきもちになるひとはいないかな?」って。いつもちょっと考えてみて、そしてそのあと、みんながよろこぶことをなんでもやってみてくださいね。

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章8節
 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。

2015年3月の「園だより」から

 3月です。「お別れ」の季節だなって思います。4月から小学校にあがるので、幼稚園と「お別れ」するお友だち・・・。今までの先生や、お部屋と「お別れ」するお友だち・・・。僕たち私たちは、とっても仲がよくても、いつか「お別れ」しないといけません。どうして僕たち私たちには、「お別れ」というのがあるのでしょう。
 みんなと同じくらいの時、私(園長)は、そんなことを考えました。大好きだったおじさんが死んじゃったからです。今でもどうしてかは、わかりません。でも、あの時、私(園長)の母が言ったことを今でも覚えています。「お別れするのが悲しいって幸せだね。その人のことを本当に好きだったんだものね」。あの時からずっと、「お別れは、悲しいけれど、大切なことかな」って、思っています。


子ども礼拝 2015年 3月14日

 ばら組の皆さん、おめでとうございます。いよいよ卒園ですね。これからみんなは小学校に進みます。小学生になったら、きっといろいろやりたいことがあると思います。そして、いろんなことができるようになると思います。小学校で出会うお友だちと一緒に、小学校の先生たちと一緒に、いろんなことを、やってみてください。幼稚園でできなかったことを、なんでもやってみてください。
 さて、取手幼稚園の先生たちはたったひとつのことだけを、みんなに教えてきました。それは、みんなが小学校へ行ってからも、とっても大切です。いいえ、みんながおとなになってからも、おばあさんやおじいさんになってからも、とっても大切です。そのおはなしをしましょう。
 このあとで、みんなが歌ってくれる「空より高く」という歌がありますよね。その中で、「人の心は空よりも高くて、海よりも深い」って、言っていますよね。「こころ」というのはね、みんなは生きている間、見ることはできません。体の中のどこにあるのか、私も見たことないから知りません。でも、「こころ」というのは、ぼくたちわたしたちが一番大切にしなければならないものです。みんなはまだ小さいけれど、みんなの「こころ」はホントに大きい。「そらより高く、海よりふかい」んです。「こころ」っていうのは、生きていくときの「ちから」みたいなものです。おっきいちから、おっきい「こころ」を持って、みんなは生まれてきたんです。おっきい「こころ」があると、きっとなんでもできますよ。どうか「こころ」を大切にして、どんなこともあきらめない人になってください。「こころ」を大切にするっていうことは、「自分を大切にする」っていうことです。そしてもう一つ、「他の人を大切にする」っていうことです。ぼくたちわたしたちは一人で生きているわけではありません。いつもいろんな人たちに助けてもらって生きています。だから、ぼくたちわたしたちもまた、いろんな人たちを助けていかないといけませんよね。ほんとに大きい「こころ」っていうのは、誰かを助けてあげられる「こころ」です。そうするとね、みんながおおきな「自分のこころ」を大切にすればするほど、まわりのたくさんの人たちを、助けてあげられるっていうことになります。このことは、学校へ行ってお勉強ができるとか、スポーツができるとかいうことよりももっと大事なことです。
 私も他の先生たちも、ただそのことだけをみんなに伝えてきたつもりです。どうか、そういう人として、これからも大きくなってくださいね。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章15~16節
 02:15そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 02:16命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。


子ども礼拝 2015年 3月6日

 みんなの今年度もいよいよ終わりです。きょうは卒園式の練習をやっています。ばら組さんが、この幼稚園とお別れするのも、もうすぐです。お別れするっていうことは、もう会えなくなるってことですね。もちろんこの取手の町から引っ越してしまうわけじゃないので、またどこかで会うとは思いますよ。でも、ここを卒園したら、ここの先生たちが、みんなと遊んでくれるってことは、もうないんです。そして、ここの先生たちがみんなを叱ることも、もうないんです。「みんなはこの幼稚園でもういっぱい遊びました、お友だちや、先生たちと、いっぱい楽しく遊びました、先生にもいっぱい叱られました、たくさんの思い出を作りました、この幼稚園で、せいいっぱいやりました。だから、もうお別れします」__それが、卒園するってことなんです。
 ばら組さんのみんなは、これから小学校に行きます。幼稚園の先生たちは、もう遊んでもくれないし、叱ってもくれない。これからは、みんなは自分で考えて、何でもするんですよ。どんなことはやってもいいんだろう? どんなことをしてはいけないんだろう? 自分ひとりのときは、どんなことをしたらいいかな? お友だちと一緒にいるときは、どんなことをしたらいいかな? 何か作ろうとしてじょうずにできないときは、どんなふうにしたらいいかな? お友だちとけんかになっちゃいそうなときは、どうしたらいいかな? ほんとにけんかになっちゃったら、どうしたらいいかな? 仲よくするにはどうしたらいいかな?・・・そういうことを、ここの先生たちは、みんなにちゃんと教えてきたと思います。みんなはそのことがよーくわかったと思います。だから、もうお別れをするときなんです。お別れをしても、この取手幼稚園で、どんなふうに楽しかったかな、どんなことをしたときに叱られたかな、そういうことを、忘れないでください。卒園式の本番まで、風邪をひいたりしないように気をつけてね。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章15~16節
 02:15そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 02:16命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。


子ども礼拝 2015年 2月27日

平和へいわ」をつくひとが、しあわせにきていくことができるっていうのが、今月こんげつ聖書せいしょ言葉ことばですよね。でも「平和へいわつくす」って、なかなかむずかしいかもしれません。
 みんなは「戦争せんそう」とか「たたかい」の場面ばめんをテレビやDVDなどでることがあるでしょう。それはかっこいいですか? もしみんなが、戦争せんそうたたかいの場面ばめんを「かっこいい」ってっても、わたしはみんなをしかったりしません。みんながドッジボールやたたかいごっこをやっていて、「ちたい」っておもうのとおなじだからです。それによくているから、ひょっとしたら「かっこいい」って、おもっちゃうかもね。でもね、ちょっとだけちがうところがあります。それはね、本物ほんものの「戦争せんそう」では、本当ほんとうひとんじゃうってことなんです。んだら、ひとはもうかえりません。みんなは、自分じぶんじゃっても、それでいいですか? それは、「かっこいい」ことでしょうか? おとうさんや、おかあさんがんじゃったら、それは「かっこいい」ことですか? わたしは「かっこいい」なんておもいません。それは、とってもかなしいことだとおもいます。本当ほんとうの「戦争せんそう」は、ドッジボールやたたかいごっことは、そこがちがうんです。みんなの大好だいすきなひとたちと、もうえなくなっちゃうってことなんです。だから、かっこよくもなんともないんです。
 だれかがけんかをしているのをとき、みんなだったらどうしますか? 「もっとやれ!」って、いますか? わたしはそんなのを、ちっともかっこいいとはおもいません。「けんかなんかやめろ!」って、みんなはえますか? それは本当ほんとうは、とっても勇気ゆうきることなんですよ。けんかすることは、べつ勇気ゆうきがなくてもできるんです。でも、それを「やめろ」っていうのは勇気ゆうきります。その勇気ゆうきせるひとになってください。本当ほんとうに「かっこいい」のは勇気ゆうきのあるひとです。やってはいけないことを「だめだよ」って、えるひとになってしいなって、わたしおもいます。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

2015年2月の「園だより」から

 2がつになりました。まめまきで「おにはぁ~そと!」って「いますよね。「おにていけ!」っていうことですよ。でもそこで、ちょっとかんがえてみてください。その「おに」っていうのは、「本当ほんとうわるいことをしているおに」ですか? それともぼくたちわたしたちが「なんとなくきらいなおに」ですか? この2つの「ちがい」は、なかなかおっきいんですよ。
 ぼくたちわたしたちには、いつも「きなもの」「きらいなもの」があります。でも「きらいなもの」がいつも「わるいもの」とはかぎりません。「本当ほんとうわるいことをしているおに」にかって「おにはぁ~そと」をってしいって、わたしおもいます。


子ども礼拝 2015年 2月13日

 「平和へいわ」っていう言葉ことばがあります。みんながいつもているテレビなんかにも、「平和へいわ」っていう言葉ことばてくるでしょう。「平和へいわ」って、なんでしょう? ぼくたちわたしたちがけんかをしないこと、それも「平和へいわ」のうちにはいるかもしれません。でもね、ぼくたちわたしたちは、みんなそれぞれ、あたまなかかんがえていることがちょっとずつちがいます。そうすると、おともだちはこんなふうにかんがえているけど、ちょっとちがうな、そうじゃないな、っておもうことがときどきあります。みんなのかおがそれぞれちがうように、みんながあたまなかおもっておもっていることも、やっぱりちがいます。そのときです。みんなが「平和へいわ」っていうのをかんがえないといけないのは。  みんなは、みんなのやりたいことがあります。みんなはあたまなかで「こうしたいな」ってかんがえたことをやりたいにきまっています。でも、おともだちは、ほかのことをやりたいかもしれませんよね。そういうときどうなりますか? みんなが、自分じぶんのやりたいことだけをやろうとしたら、どうなっちゃいますか? きっとけんかになっちゃうとおもうんですよ。それは、「平和へいわ」じゃないってことです。そこでけんかになっちゃうのは、「平和へいわ」じゃないんです。どうしてでしょう? みんなが、「わがまま」になっちゃうからです。「わがまま」って、なんですか? 「自分じぶんひとりがたのしくて、うれしければそれでいいや」―それ、「わがまま」です。「ほかひとはどうでもいいや」―それ、「わがまま」です。みんなが「わがまま」だったら、けんかになってしまいますよね。「わがまま」なひとたらどうおもいますか?「やだな」って、おもうでしょ。おとなのひとたちがそれをやったら、どうなりますか? 「戦争せんそう」になりますよね。「戦争せんそう」って、とってもおおきな「やだな」なんですよ。かっこよくもなんともないんです。「平和へいわ」のほうが、よっぽどかっこいいんですよ。そのことをおぼおぼえてくださいね。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。