学校法人愛隣学園 取手幼稚園
 園 長  小林 祥人(よしと)     へ  
 
★.毎月配布される「園だより」に掲載されたメッセージ ★月初めのこども礼拝で話された、今月の聖句にちなんだこと 等を集めています。
子ども礼拝 2010年9月13日 
ルカ5章4節 「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」
今日のお話は、漁師さん(川や海などで、お魚をとるお仕事をしている人だね)が、一晩中お仕事をしていたのにお魚がとれなかった。そこでイエス様が「もう一回やってごらんなさい」って言ったんだね。漁師さんたちがそのとおりにやってみると、お魚がたくさんとれたっていうお話です。
 僕たち私たちは、毎日、いろんなことをして遊んだり、お家の人のお手伝いをすることがあると思うんだけど、そういうときに「じょうずにできない」ことが時々あります。いくらやってもうまくいかなかったりすると、いやになってしまいます。でも、そういうときに、「あきらめないで」やるのは大事です。これはいいですよね。
だけど、何かする前からあきらめてしまうことが、ときどきあると思うんですけど、みんなはどうですか?「どうせだめだから」「どうせじょうずにできないから」って、自分の心の中で思ってしまって、それで何もやらずに終わりにしてしまうことがあります。
それはとっても、もったいないことだと思います。だめかもしれないけど、だめじゃないかもしれません。まだどっちかわかりません。僕たち私たちは、いろんなことができるかもしれないんです。ひょっとしたら、最初に思っていたのより、ずっとじょうずにできるかもしれません。もちろん、やってみたらうまくいかなかった、ということもあるかもしれません。でも、うまくできなかったとしても、「いっしょうけんめいやった」「いっしょうけんめいやってよかったな」っていう思い出は、心の中にずっと残ると思います。そしてそういう気持ちは、この次に何かしようとするときに「やってみよう」っていう気持ちになっていくんです。みんな「ゆうきをだす」って知ってるかな? あれはね、いろいろなことを「どうせだめだ」なんて思うんじゃなくて、「よーし、やってみよう」って思う気持ちなんです。運動会が近づいてますよね。「よーし、やってみよう」って、元気を出して、やってみてくださいね。


2009年9月の聖句

ルカによる福音書19章2-4節
「そこにザアカイというひとがいました。税金をとるお役人の親分でしたが、小さいひとでしたから、イエス様がどんなひとか見ようとしたのですけれど、たくさんのひとびとにかくされてしまって、見ることができませんでした。それでイエス様を見ようと(よーし、こうしてみようって考えて)走って先回りし、(がんばって枝のたくさんある)いちぢく桑の木にのぼりました。イエス様がそこを通り過ぎるところだったからです」


「できること」と「できないこと」というのがあります。夏休みの間、みんなもいろんなことをやってみたと思います。上手にできたこともあると思いますけれど、あんまり上手にできなかったこともあるかもしれません。僕たち私たちは、いつもがんばって、いろんな事をできるようになろうとしています。きのうはダメだったけれど、きょうはできるようになろう、ってね。
 でもどうしてもできないってことが、やっぱりあるにはあります。大きいお友だちにはできても、小さいお友だちにはできない、なんてこともあるかもしれません。どんなことでも僕たち私たちはいっしょうけんめいです。でも、どんなにいっしょうけんめいやってもダメだった、っていうことが、時にはあります。
でもそのとき、「それじゃどんなことができるかな」って考えてみてほしいんです。みんながちっちゃくて高いとこところにいるセミをつかまえたいと思うときには、どんなふうにしたらいいか、考えてみてください。あみをもっている手をいっしょうけんめいのばすんだけど、それより高いとこにセミがいたらどうするかな? そこでいろいろ考えてみてください。どんなふうにしたら、うまくいくかな?・・・園長先生がだっこして、とどくようにしてくれるかもしれません。でも、園長先生がいなかったらどうする?
だいじなのは、どうしてもそのセミをつかまえたいなって願うこと、そのつぎには、じゃあどうしたらいいかなって考えてみること。そしてあきらめないこと。自分はとってもちっちゃいけど、だからってあきらめたりしないで、「どうしたらいいかな」っていつも考えてみてください。あきらめないでやってみるお友だちを、かみさまは応援しています。


2009年1月の聖句 
 「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14章6節)
新しい年、2009年が始まりました。1月は1年の最初の一ヶ月です。僕たち私たちが毎日をすごしていくことを「一年のあゆみ」なんていうことがあります。「あゆみ」「あゆむ」っていうのは、「あるく」っていうことだよね。もちろん、いつも本当に歩いているわけじゃありません。でも一日一日をすごしていくっていうのは、僕たち私たちが一歩一歩あるいてゆくのに、何となく似ています。そこで「あゆみ」という言い方をするんだね。
さて、「歩いていく」っていうことは、ふつうは、どこか行き先が決まっているっていうことです。どこに行くか? それはみんなそれぞれ違います。それと同じように、僕たち私たちの今年一年というのも、みんなにはきっといろんなものがあると思うんです。いままでできなかったことをできるようにがんばってみるとか、ちょっと心配だけどやったことのないことをやってみるとか・・・そういうことはもちろん大切です。でも、そういういろんな事をやるときに、ほんとに大事なのはどんなことかなって、ちょっと考えてみましょう。たとえば、ずるして競走に勝っても、しょうがないとおもいます。それって、ほんとにかったわけじゃないんですから。
「は・ん・そ・く」っていう言葉を、みんなもきっと聞いたことがあるでしょう。「反則」っていうのは、ほんとはやっちゃいけないことをして、競走に勝ったり、何かを自分のものにしちゃったりすることです。僕たち私たちは何かいろんな事をするときに、まず最初は自分でやってみます。そして時々は誰かに助けてもらうことも大事です。だけど、ずるいことをしてはいけないよね。苦しいときに助けてもらってもいいけど、ずるいことはしない。もしみんなが、ずるして、近道なんかをしちゃってゴールインしたとしましょう。そのとき、みんなの心の中からは大事なものがなくなっていると思います。それは、「いっしょうけんめいやってみよう」「いっしょうけんめいやってみて、よかったね」という気持ちです。こういう気持ちを持っている人は、いつでも、どこでも強く生きていくことができると思います。そういう気持ちをなくしてしまうのは、とっても残念だと思います。ずるして近道をするのではなく、自分の力で、ときには誰かに助けてもらいながら毎日をすごしてください。そして一年のゴールに近づいてください。

2008年12月号より 
 「12月ってさむいけど、あったかい」って、子どものころ思っていました。きっと、とってもいそがしげにせかせか動いているおとなたちを見て、たくさんの人たちが一緒に生きている「ぬくもり」みたいなものを感じ取ることができたのかもしれません。「季節」は自然がつくるのだけれど、「季節感」って、私たち人間が、自分たちでも知らないうちにつくっているのでしょうね。クリスマス・プレゼントをもらったり、あげたりする嬉しさの中には「さむいけど、あったかい」っていう、この時季ならではの「ぬくもり」がこもっていたらいいな、と思っています。          
2008年11月号より 
「わっ、きょうは寒いね」って、ちょっとびっくりしながら、おうちを出てくる季節です(お空はよく晴れているのにね)。この時期のおひさまって、ちょっとさびしい感じがしませんか? きっと、だんだん長くなってくる日陰を避けて、ちょっぴりの陽だまりで遊んでいると、おひさまも少し元気なさそうにしているのが見えるからかもしれません。でもだからこそ、ぽかぽか陽気の時には「ありがとう」って思うことができるのでしょう。季節の変化は、そのまま私たちの日々の歩みのようです。小さな「うれしさ」におっきな「ありがとう」――11月のおひさまは、そんなおひさまです。 
 2008年11月の聖句   
 「しゅにさんびのうたをうたいかんしゃをささげよ」 詩編30編5節
今月は「収穫感謝祭」があります。「かんしゃ」は「ありがとう」のことだよね。じゃあ「しゅうかく」って何だろう?それはぼくたち・わたしたちがどうしても「ほしい」って思ってるものを一生けんめいがんばって手に入れる、それを「収穫」っていうんだと思います。でもほしいものを他の人から取り上げるんじゃなくて、自分でいろいろ工夫しながら手に入れるのが、収穫です。もちろん自分ひとりではできないこともあります。そんなときにはお友達やおうちの人に手伝ってもらう、それでもだめだったらかみさまに頼んでみる、そういうふうにいろんな人に助けてもらいながら手に入れるのが「収穫」です。
でも何でもかんでもほしいものを手に入れるのが「収穫」ではありません。自分たちが生きていくのに、本当に大事なものを手に入れるのが「収穫」だし「収穫のうれしさ」です。たとえば「たべもの」がなければぼくたち・わたしたちは生きていくことができません。だから「たべもの」があるってことは、ほんとはとってもうれしいことなんです。そして「たべもの」がなかったら、ぼくたち・わたしたちはこまっちゃうよね。
この「たべもの」なんかも、ぼくたち・わたしたちだけの力では手に入りません。たくさんの人が昼も夜も、夏も冬もがんばって、かみさまもがんばって、おひさまをてらしてくれたり、雨をふらせてくれたり、それでぼくたち・わたしたちのところにたべものがくるんです。
さて、そういうかみさまや、たくさんの人たちに、「ありがとう」って言ってみましょう。かみさまは目に見えないし、おやさいや、くだものや、おこめを作ってくれている人たちだって、よく知らない人たちです。でもそういう人たちに「ありがとう」って、言ってみましょう。「たべもの」を作ってくれる人たちだけじゃありません。ぼくたち・わたしたちはいろんな人たちから助けてもらって生きています。ぼくたち・わたしたちがだれかに助けてもらったり、うれしい気持ちにしてもらった時は、大きい声で「ありがとう」って言ってみようね。
 2008年10月号より
「かけっこ」や「おゆうぎ」――運動会って、ちっちゃいながらも「人間同士のぶつかりあい」です。だからこそ子どもたちの「ちょっぴり大きくなった姿」を私たちは見るのでしょう。その頑張りの中で、おっと、「秋」っていう季節を楽しむことも忘れちゃいけません。生活から季節感が薄らぐ中で、どこかへ消えちゃいそうな「秋」ですから。「そら、もうひといき!」って、園庭の真ん中で歯を食いしばってる時にも、ふっ、と高い空を見上げてみると、ほら、赤とんぼさんが応援に来てます。
 2008年10月の聖句
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています」
コリントの信徒への手紙一12章14節
僕たち私たちは、こうして「トリデヨウチエン」っていう一人のところに集まって、それぞれみんな仲良く、遊んだりしています。それに運動会も近づいて、みんなで力を合わせて練習していますね。そういうみんなは幼稚園の「なかま」です。そして、おうちに帰ったら、そのおうちの一員、つまり「なかま」です。みんなが卒園して小学校へ行けば、こんどはその小学校の「なかま」になります。こんなふうに、僕たち私たちはいつも「なかま」をつくって、その「なかま」の一員として生きています。
 さて、その「なかま」の中で、僕たち私たちは、それぞれいろんな「やくわり」というのがあります。幼稚園での「お当番さん」とか、おうちでも、お父さんやお母さんに何かを頼まれて、お手伝いをします。でも、誰からも何も頼まれないことも、時にはあるよね。でもそんな時でも、僕たち私たちには、それぞれの「やくわり」があると思います。何でもないように見えることでも、僕たち私たちには、「なかま」の中での「やくわり」があります。たとえば運動会など。ばら組みさん、すみれ組さん、たんぽぽ組さん、それぞれの「やくわり」があって、かけっこや、おゆうぎなど、それぞれのことをします。でも、他のお友だちが何かやっていて、自分では何もしないときもあるよね。観てるんだよね。でも、ただ見ているだけじゃなくて、そんな時にも、僕たち私たちの「やくわり」がきっとあると思います。他のお友だちが、かけっこや、おゆうぎとかをやっているとき、観ていう僕たち私たちは何をしたらいいのかな? お友だちが一生けんめいやっているのを観て、僕たち私たちも一生けんめい応援するよね。その応援に元気づけられて、みんな頑張っちゃうんだよね。だから、何もしていないように見えても、何もしないわけじゃないんです。
 運動会だけじゃありません。いつでも僕たち私たちは、お友だちやおうちの人――「なかま」のために何かできることがあるかな、どんな「やくわり」があるかな、って考えながらすごしていきたいね。

 2008年9月号より
風の吹き方で、季節の変わり目がわかります。それはきっとすてきな風、って思います。子どもたちにとって、夏休みはやっぱり大イベントです。それが終わってしまうさびしさ。でも、終わってしまう夏の日だからこそ、かえっていとおしさを感じるのもまたこの時季です。そして、幼稚園のみんなでやってみるイベントは、これから先が「たくさん」です。秋の初めに吹く風は、ちょっとさびしげだけれど、「これまで」と「これから」の思い出や期待がいっぱいの、きっとすてきな風だと思います。
2008年9月の聖句
 しゅのみまえで だびでは ちからのかぎり おどった(サムエル下6章14節)
夏休みはきっと楽しい思い出がたくさんできたと思います。今日から二学期が始まりますけど、この二学期はいろんな行事があります。「おじいちゃん・おばあちゃんの会」「うんどう会」「こどもフェスティバル」なんかがあるよね。そこではおじいちゃん・おばあちゃん・おとうさん・おかあさんなど、たくさんの人たちが観にきてくれるよね。せっかく来てくれる人たちのために、できる限りのことをしてみせてあげよう。「できる限り」って、難しい言葉だけど、「せいいっぱい」「ちからいっぱい」っていうことだよ。だけどどうして僕たち・私たちは「せいいっぱい」「ちからいっぱい」やるのかな?
それはね、僕たち・私たちが、たくさんの人たちに、「せいいっぱい」「ちからいっぱい」守ってもらって生きているからなんだ。たくさんの人たちが、そんなふうに守ってくれるから、僕たち・私たちは夏休みも楽しく、元気に過ごすことができたんだよね。僕たち・私たちは一人で元気に生きているわけじゃないんです。神さまとか、たくさんの人たちに守ってもらって生きてるんだよね。神さまも、おとなの人たちも毎日「せいいっぱい」「ちからいっぱい」みんなのことを守ってくれています。守ってくれているから「僕たち・私たちはこんなに元気なんです、楽しく過ごしているんです」っていうところを、二学期のいろんな行事をしながら見てもらおうね。「ちからのかぎり」って、そういうことなんだね。
  2008年7月号より
  「あついね!」――いつの間にか、汗びっしょりの季節です。だけど夏って、どうしてこんなに待ち遠しいんでしょう? たぶん、お外に出てやってみたいことがめいっぱいあるからじゃないかな? 
ゆったりの時間の中で、さあ何からやってみようかなって考えるのも、わくわくします。外に出れば、あとはカァーッと照りつける太陽を味方にして、もう何でも楽しむしかありません。でも今年の太陽さんも、けっこうきびしそう。時には大きな木の陰に隠れたり、「自然のクーラー」も探して休んでみてね。とっても気持ちよくって、お部屋にいたら味わえません。 
             
2008年7月の聖句 
しゅに のぞみをおくひとは あらたなちからをえる(イザヤ40:31)
 ぼくたち、わたしたちには、たくさんの「ねがいごと」があるよね。どんな「ねがい」がいちばん大切かな。たとえば僕が、「かけっこで速く走れるようになりたい」って「おねがい」をしたとします。いっしょうけんめいがんばって、その「ねがい」どおり、「かけっこ」が誰よりも速く走れるようになったとしましょう。そして運動会では一着でゴールイン・・・でも、そのときに周りに「よかったね、一等賞だよ、おめでとう」って、一緒になって喜んでくれるお友だちが、もしも一人もいなかったらどうしよう? きっとさびしいと思います。逆に、僕がビリになっても、まわりのお友だちが「残念だったね。でも、よくがんばったよね。この次はきっとうまくいくよ」って、言ってくれたら、がっかりしていても、きっと元気になると思います。
そうすると、ぼくたちわたしたちが、何か「ねがいごと」をして、それがかなうっていうのは、もちろんうれしいことだけれど、そのときに、誰かが一緒にいて、一緒に喜んでくれるっていうことは、もっとうれしいことなんじゃないかな? 何かを「おねがい」して、それがかなったらまわりのみんなが喜んでくれる。もしもかなわなかったらまわりのみんなが悲しんでくれる、そういう「ねがいごと」をしてみよう。自分ひとりが「うれしい」んじゃなくて、みんなが喜んでくれるような「ねがいごと」をしてみましょう。そういう「ねがいごと」のできる人は、きっといつも元気で、がんばって、毎日を過ごすことのできる人だと思います。
どうしてかというと、そういう人には、いつもはげましてくれたり、元気づけてくれるお友だちがたくさんいるからです。

 2008年6月号より
 なが~く降り続く雨、のっそり退屈そうなでんでんむし、ぼんやりした色のアジサイ・・・あんまり楽しくなさそう・・? いいえ、そういう6月を、もっと子どもたちに見せたいな、と思います。だって、それって自然が夏に向かって準備をしている姿なんですから。人間だって「おなかをこわさないようにしよう」「梅雨が明けたら何をしようかな」ほら、やっぱり夏の準備をしています。同じ地球に生きる仲間たちが、同じ夏を待って準備。そんなふうに辺りを見回してみると、6月って、すっごく楽しいかも。 
2008年5月号より 
 「5月って、春なの?それとも夏?」そうきかれるとこまっちゃうな・・え~っと・・桜の花はもうなくなっちゃったし、冷たい水が気持ちいいのも、まだ少し先のお話。
そこで、こう言ってみようと思います。「冬から夏にゆっくりかわっていくのが、よぉ~っく見える季節なんだよ」って。子どもはあっという間に大きくなっちゃいます。でもその「あっという間」って、ほんとはたくさんの「ゆっくり」の積みかさねです。少しずつ移りゆく自然の風景の中を遊びながら、「ゆっくり」を確かめてみたい季節です。
 
2008年4月号より
 「出会い」っていう言葉が、やっぱり4月にはぴったりです。新しい先生、新しい仲間それに新しいお部屋、新しい・・。「出会い」って、楽しくて、すごくわくわくすることのはずです。でもその「わくわく」の半分は、ひょっとすると「ちょっぴり心配」・・。誰でもみんなそうです。だって「新しい何とか」に出会うってことは、周りがちょっとだけ変わることだし、そこではやっぱり自分もちょっとだけ変わっていくことなのですから。「だいじょぶかな・・」「おともだちになれるかな」「ここにいていいのかな」・・・「もちろんです!」って言えるように、はりきって取手幼稚園は、皆さんをお迎えします。
2008年3月号より

「これでおわかれだね」って、旅立つ「ばら組さん」も、見送る「すみれ組さん・たんぽぽ組さん」ももう会えなくなるのはやっぱりちょっぴり・・・。でも「さびしくて、つらい」っていう気持ちを、たいせつにね。だってそれって、「会えてよかったね」っていう意味じゃないですか。いままで何とも思ってなかったことへの「ありがとう」の気持ちも、その「お別れ」の一瞬に、ぱぁっとでてくるんです。泣き顔でも笑顔でもいいんです。でもおともだちや先生を見つめる目の中にはたぶん、「ありがとう。あえてよかったね」

2008年2月号より
さむ~いっ!一番寒い時季になってきました。毛糸の手袋がびっしょりになっても氷の板をこわれないようにすくったり、霜柱を踏みつけたときのサクッ、という感触・・・冷たいけどトライせずにはいられなかった「冬の楽しみ」が、昔はそこここにありました。でも本当に楽しみだったのは、たぶん、透き通った薄氷ごしに見えたおひさまだったのかも。「冬って、ただ寒いだけじゃないよ」――それを子どもたちに伝えようと、先生たちも元気に園庭に飛び出していきます。  
2008年1月号より
 あけましておめでとうございます。これから始まる一年が、きっと実りの大きなものとなりますように・・・「でもそれって、どんな実りかな」ですって?いろいろあると思いますが、どっちにしても毎日が「新しい発見」でしょう。おとなも、子どもたちも、です。それを大事にしてみるというのはいかがでしょうか?誰かの「発見」を「ふうん」ではなく「すっごーい!」。それを一年間ためればきっと・・・    
 2007年12月号より
 「せめてこんなふうになったらいいのにな」という小さな願いが、誰にでもあります。それがほかの誰かを傷つけたり、悲しませたりしないものだったら、どうか大切にしてみてはどうでしょうか?クリスマスって、どこかの「金ピカのお偉いさん」の誕生日を、大騒ぎして祝うことではありません。子どもにも大人にもあるちっちゃな願いをだいじにしようって、みんなで思ってみる日なんです。
  2007年11月号より

「子どもたちにとって、最初に思い浮かぶ季節といえば、まず「夏」。その次が「冬」「春」・・・印象が薄いのでしょうか、「秋」っていう言葉が。なかなか出てきません。でも、子どもにも「秋」はちゃんとあります。だって園庭ではこんな声がします。「あれぇ、今年は赤い葉っぱがまだ少ないぞぉ・・・」。ほんとは私たち大人より、よほど敏感に「秋」を感じ、また豊かに表現しているのかもしれません。

 2007年10月号より
 この園だよりが届くころは、秋の運動会も間近に迫り、園児も保護者の皆様も、少なからず緊張しているところではないでしょうか。「緊張と秋」って、少し変な取り合わせみたいですけれど、「心地よく緊張」できるのが「秋」という季節なのかもしれません。「緊張感」と「過ごしやすい快適さ」が同居する運動会なんて、あったらいいな、と思っています。 
 2007年9月号より
 今年の夏は暑かったですね。少しだけ涼しくなってきましたが、この取手の町では、どんな種類のセミが鳴いているかで、季節の移り変わりを感じることができますよね。でも、大都会ではそんなものはすっかり忘れられてしまっているでしょう。取手の子どもたちには、だんだんか細くなっていくひぐらしの鳴き声の中に、夏の終わりと秋の始まりを感じてほしいですね。
 2007年8月号は、なつやすみ      
2007年7月号より
 「このハチしんでる。あつくてしんじゃったんだ、きっと」と、ある園児が言っていました。プール遊びが楽しい季節ですが、その一方で「暑さって、気をつけないとあぶない」ということを教えたい一ヶ月でもあります。地球の温暖化というのは、いつかどこかの話ではなく、私たちの幼稚園の、今日の園庭での遊びにも関係あるということを、子供たちとも分かち合えたらと思います。          
2007年6月号より
 衣替えの季節です。でも、だからといってお天気は人間が考えるようにはいきません。
五月からの天候不順は続いていて、まるで真夏の次の日が真冬のようだったりします。
元気に遊んで汗びっしょりかいているそばから、ひゅう~っと冷たい風が流れていくのがこの時季です。
ご家庭でもお子様たちの体調の変化がとても気になるこの六月、私たちも幼稚園での園児の体調管理に特に気を配りたいと考えます。
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